千五百八十八(歌) 江戸時代は停滞だったか
辛丑(2021))
五月二十五日(火)
ULM(アーバンライフメトロ)と云ふサイトに
江戸時代というと、織田信長や豊臣秀吉の頃に比べて「停滞」した時代だったというイメージがあるかもしれません。
しかし、少なくとも国内経済に関してはまったく違います。江戸時代の前半は、空前の「大開発時代」であり、河川に対する大規模な治水工事が行われ、今まで洪水によって耕作が不可能だった大河川の下流の平野が生産力豊かな水田地帯に生まれ変わりました。
この記事に賛成だが、見逃してはいけない部分がある。「少なくとも国内経済に関しては」だ。江戸時代は、平和な世の中になり、治水や新田開発に注力できた。
だから経済は発展したが、政治が停滞した。徳川家康は将来について、鎌倉幕府や室町幕府を予想したのではないか。どちらも幕府があるのに、戦が続いた。大名は役立つ家臣を集めるし、滅ぼされる大名は或る程度出現する。
これだと人材の入れ替へが頻繁に行はれる。しかし幕府が三代家光のころから強くなり過ぎて、政治は停滞するやうになった。
大藩に 幕府の役目 与へずに 小大名と 旗本が 取り仕切るのは 巧いやり方
(反歌)
外様には 領地を与へ 優遇し 改易により 回収をする 家光までは
(反歌)
大藩の 外様そのまま 優遇し 手伝普請で 回収をする 綱吉よりは
今から四十年くらい前にNHKテレビで、関ヶ原直後は連合政権だったから、外様は厚遇するが手伝普請させ、親藩や譜代は領地が少ないものの幕府の要職につけた。これからは親藩譜代の生き方だ(つまり、給料は高くなくてよいので、自分にあった生き方をすべきだ)、と云ふ番組を見た。1980年頃の話である。
日本はその後、膨大な貿易黒字で経済が発展し続けた為、外様の生き方を続けて十五年経過し、プラザ合意で為替変動と失業の危機、正規と非正規の格差で、一気に幕末まで行ってしまったが。
農村の 村役人も 停滞し 元は領主に 対抗し 百姓の地位 守ったが 後は領主の 下請けとなる
町民は 文化発展 先駆けの 役割果たす しかしのち 元禄あたりに 株仲間 その後はやはり 停滞進む
(反歌)
利権こそ 江戸時代での 停滞が 政経ともに 進んだ理由(終)
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