千四百八十二 (和歌)行動心象日記(余った調味料、富士見川越有料道路、公証役場、普化宗遺跡、鉄道用品株式会社)
庚子(仏歴2563/64年、西暦2020、ヒジュラ歴1441/42年)
十一月七日(土)
母が一人で住んでゐた時代に買った、期限が切れた調味料が幾つかある。調理油の瓶は、私が会社に持って行って昼食用に家から持って行く野菜に掛けた。切れたと云っても一年未満だった。
瓶を二つ使ひ終へて、次はラー油の小瓶を使った。一ヶ月ほど前に使ひ終へて、期限は一年十ヶ月ほど過ぎた。今度は七味唐辛子だ。これは今月で切れる。
コロナ禍の料理店支援で、昼食は弁当を購入することが多くなった。野菜を持って行くのは中型または大型カップ天ぷらソバのときだけに減った。何とか再雇用終了までに、使ひ切りたい。
調味料 捨てるとゴミの
量が増す 下水に流すと
油分 塊となり
水に浮き そのまま川に 排出される
(反歌)油分 下水で処理は 無理なので 野菜にかけて 食べてしまはう

十一月八日(日)
本日は午後に、自転車で富士見川越有料道路(現、川越バイパス)のふじみ野市に入ったところまで行った。
二週間前に、新座市まで自転車で行った。そのとき、道路標識案内の矢印で「川越」があったので、富士見川越有料道路かとなつかしく思った。
よく考へるとあのとき走ったのは志木街道だ。富士見川越有料道路は浦所線(現、国道463号)から丁字路で別れる。と云ふことで、浦所線と富士見川越有料道路を走ることにした。
最初は富士見川越有料道路で折り返す予定だったが、4Km食い込んだ。川越まで12Kmだから行けない訳ではないが、途中で折り返した。
昭和五十年代後半は、周りに田圃が広がったが、今でも田圃があった。とは云へ、大病院や市営体育館の巨大な建物がある。ララポートもある。ララポートを過ぎるとふじみ野市に入る。聞いたことのない地名だ。民間の看板に上福岡とあるのを見て、上福岡市のことだと判った。
バイパスは 四十年前
有料の 富士見川越
道路にて 周囲は農地が
広がって 都市化前の のどかな車道
(反歌)無料化で 車が増へて のどかさは 消えても残る 中規模農地

十一月九日(月)
中古家屋の家賃滞納で、賃借者から支払ふと云ふ約束の公正証書を作りに、公証役場に行った。
賃貸の 家賃滞納
累積し 公正証書を
作成し 支払ふ約束 無事取り交はす
通常の 家主は三月(みつき)
滞納が あると退去を
命じるが 温情のため 百万円越す
(反歌)滞納者 ハイブリッドの 高級車 安心するも なぜ払へぬか
帰りに馬橋で、普化宗の遺跡を見た。本来は八柱で新京成から武蔵野線に乗り換へるのだが、新京成の松戸新田から馬橋まで歩いて、臨済宗萬満寺にある石碑二つを見た。
普通の人にとり、石碑の字はよく判読できないし、わざわざ見に行く価値はない。しかし明治政府によって普化宗が廃止されたことに興味があったので、見に行った。工事中のため、取り外して仮置きしてあった。
普化宗は 臨済宗の
一派にて 後に変質
尺八と 深い編み笠
顔隠し 明治になって 禁止で消滅
(反歌)薩長の 狂気に満ちた 教部省 唯一まともは 普化宗禁止
馬橋駅の北側に、鉄道用品株式会社の工場がある。かつて総武流山電鉄の線路がそのまま工場に入り、JRの貨物線から亘り線がこれに合流した。だから総武流山電鉄と関係が深いのかと45年間思ってきた。
工場の横に行って驚いた。大きな工場である。今までは電車の車内から見ただけなので、小さな工場だと思ってゐた。思へば1980年代前半まで全国にあった客貨車区の検修庫は、小さな建物だと思ってゐたが、これと同じくらいの大きさなのだらう。
赤羽駅にも、赤羽線(今は埼京線で高架だが、昔は地上だった)を十条駅方向に行くと踏切を越へ、左側に引き込み線があり、馬橋に似た民間工場があった。会社名を記録しなかったことが惜しまれる。
入れ替への 貨物があった
時代には 引き込み線が
あちこちに 鉄道部品
会社では 小さな工場
二箇所あり 近くで見れば 小さくなかった
(反歌)入れ替へと 客貨車区こそ 鉄道の 醍醐味だったが 今は消滅

十一月十日(火)
本日の昼は、十五日ぶりにキンヌアでタイ弁当を買った。カレーに肉ではなく中型エビが入ってゐた。タイ弁当でエビは珍しいので特記した。
タイ弁当 どこの店でも
赤カレー 緑カレーと
米肉は カオマンガイと
カパオにて 他に焼きそばは
パッタイで これらを組めば 九つになる
(反歌)パッタイと 米肉二つの 組もあり 糖質系だが それで九つ
(反歌)タイ料理 カオパックンと 云ふ料理 これはチャーハン 稀にこれあり
(反歌)キンヌアで カレーに入る エビ三つ たんぱくよりも 味が目玉だ
さて、昨日の家賃滞納について不動産に詳しい人なら、管理会社は使はなかったのか、保証会社は使はなかったのか、と二つの疑問を持つことでせう。これらは使った。と云ふか保証会社は使ふはずだったのに使はなかった。管理不動産会社の落ち度と普通は考へるが、事務員兼不動産専門職の女性が退職したこともあり、それが催促を遅らせ負債を増大させた原因でもあった。
私が土日に手伝ひませうか、しかしまだ被雇用者なので委託契約で、と提案したのだがこの提案は実行されなかった。普通なら不動産会社と紛争になるところだが、円満に処理して公証役場となった。
賃貸者は工事業なので、往復の車内で不動産会社から工事の仕事を回す話も出て、皆で協力して負債を解消させることになった。
不動産 リスクはあるが
解決の 方法はある
非難やら 騒ぎを大きく してはいけない
(反歌)不動産 参入してみた 最大の 功徳はミャンマー 寺院立ち合ひ
妻が不動産算入を主張したとき、最初に反対した理由はリスクがあることだった。中古の家を三軒購入のあと、ミャンマー寺院で和光土地建物購入の話が出た。弁護士に頼むかと言ふので、そんなことをせず私が契約に立ち合った。これは功徳だ。
実は、この不動産もリスクがあり、購入を中止する方法あると在日ミャンマー人に提案した。既に募金が進んでゐるので中止はしなくてもよいと含みを持たせた。予想どほり購入することになったが、リスクは長期で解消できるとみた。
公証役場からの帰路に、アウンサンスーチーさんはどこまでが苗字なのかと話が出たので、ミャンマー人は姓がない話をした。ミャンマー寺院購入の話もすればよかった。私が扱ふ不動産は百万円代前半なので、一億円弱は私にとり最大額の契約立ち合ひとなった。(終)

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