千四百三十四 「JIN-仁-」鑑賞記外伝(劇中音楽、江戸時代の人たちの笑顔、幕末歴史観と竜馬観のぶれ)
庚子(仏歴2563/64年、西暦2020、ヒジュラ歴1441/42年)
五月六日(水)
「JIN-仁-」の人気の理由に、劇中の伴奏(略して劇伴)がある。特に開始時の主題音楽「JIN-仁」を劇伴に使ふと、視聴者は盛り上がる。
「夕陽ケ丘」は、「JIN-仁」の編曲で、これは夕日の丘の光景で流れる。美しい光景と相乗効果だ。
「南方のテーマ」「咲の想い」も美しい曲だ。
劇伴には、効果音に近いものもある。ここで敬意を表し全てを列記すると
JIN-仁、南方のテーマ、哀恋歌、ヒダマリの町、医術ー起承、医術ー転結、暁の時代、あの夕陽の向こうに、咲の想い、桶町千葉道場の男、市井の人々、封入奇形胎兒、突然の黒い瞬間、暗闇と寂光の間で、闇との契り、歪みと曲線のワルツ、大阪の蘭方医、異邦人、Dr.Minakata、夕陽ケ丘。
五月七日(木)
ドラマで「笑った人が多い」「笑ふのが上手」と話す場面がある。現在は日本が、タイを「微笑みの国」と呼ぶこともあるが、江戸時代は日本も微笑みの国だったと、想像を巡らす。
五月八日(金)
ドラマの歴史観は、バランスを取ることを最優先に、薩摩が大政奉還の直前から反竜馬になり、暗殺後は竜馬を称賛したりと、ぶれが大きい。
しかし竜馬は幕府に暗殺されたとするのが、1990年辺りまでの歴史観で、その後は、薩摩が幕府に竜馬の居場所を密告したのではないか、などの説が出てきたから、ドラマの歴史観は公平と云へる。
ドラマの竜馬観は、遊郭に通ったり武器の流通で儲けたりとかなり悪い一方で、南方仁との友情やその忠告により武力主義から大政奉還に転じるなど好意的にも描いて、ここでもバランスが取れた。
勝海舟が四候会議について、薩摩は天子様の前で長州の処分を解かせ討幕の準備を進める、と仁に話した内容は史実なのか。
五月九日(土)
「JIN-仁-」は、SF(空想科学)ドラマであり、歴史ものであり、劇伴に優れ、医療ものであり、人気が出る要素がいっぱいだった。
咲を演じた綾瀬はるかの演技力も光った。(終)
追記五月十日(日)
主演の大沢たかおについては、NHK大河ドラマ「花燃ゆ」で悪い印象を持ち、五年が経過する。しかし今回の「JIN-仁-」では、当たり役だった。俳優の演技力は、本人だけではなく、配役と監督にも責任があることが、はっきりする。
とは云へ、中盤は竜馬への絶叫調説教が目についた。五年前に「花燃ゆ」を見なくなったのも主人公(吉田松陰の妹で、久坂玄瑞の妻。後に大沢たかお演じる明治政府高官の後妻)が絶叫調で椋梨藤太に懇願する場面だった。
「JIN-仁-」の終盤は、仁の不自然な笑ひが目立ち、咲にまで「無理に笑はないでください」と叱られてしまった。仁は、江戸時代の人たちは笑ふのが上手だ、と言ひ訳をした。仁の大脳腫瘍が悪化する一方なので、カラ元気でもあった。
大沢たかおの演技に台本を合はせたのか、台本に大沢が演技を合はせたのか。
追記五月十一日(月)
台本や演技は、昔のテレビ番組の影響を受ける。勝海舟を観て、さう感じた。話し方が1974(昭和49)年の大河ドラマ「勝海舟」の影響を受けた。
大河ドラマと云へば2012年の「平清盛」で、清盛は後白河法皇の子だと云ふ設定だった。それ自体は構はないが、その後、清盛は後白河法皇の子かどうかの無駄な議論が起きた。また、このドラマの清盛は、それ以前の大河とラマの織田信長を模写したのではないか。
テレビドラマの脚本や監督にとり、以前の作品を模写すると労力を省けるし、評判を予想できる。しかしテレビが新しく定型化した歴史を作ってはいけない。
竜馬は幕府が暗殺したとする単純な歴史から、薩長を絡めた歴史にしたことは、一旦は高く評価できた。その一方で、両論併記に陥ってはゐないか。あるときは大久保が反竜馬、別のときに親竜馬では、ドラマが一貫せず面白さを半減させる。「JIN-仁-」は歴史ものではないから、たまたま人気が落ちなかった。咲の兄がいつまでも死なないのと並び、人気失墜の可能性はあった。
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