千四百二十九 組織の暴走、宗教の暴走
庚子(仏歴2563/64年、西暦2020、ヒジュラ歴1441/42年)
五月三日(日)1.(僧X信仰の暴走)編
浄土宗が、阿弥陀仏ではなく大日如来を拝んだら異常だ。僧X系の各宗派が布教完成を目指さないことは、浄土宗が大日如来を拝むのと同じくらい異常だ。なぜなら僧Xの教へは、広めるためのものだ。広めないのなら、浄土宗が大日如来を拝むのと変はらない。
だからと云って、布教完成のあてのない活動をしてはいけない。他の宗教の妨害に来たり、豊島区では公園に「勧誘禁止」の立て札が設置されるなど、世間が迷惑してゐる。
世間が迷惑することを平然と行ふ理由は、組織の命令だからだ。一人では絶対に考へない。組織の命令だからできる。つまり、組織は暴走する。今大問題になってゐる新型コロナウィルスは、免疫を制御する二つの機能のうち一つが過剰になって免疫が暴走し、肺胞を破壊するさうだ。同じやうに組織も暴走する。
五月六日(水)2.(宗教組織の暴走)編
日本は雇用の移動が極めて少ない。だから組織は被雇用者によって、既得権化される。しかし会社は利益追求の手段として、被雇用者を社員と呼んだり、福利厚生に力を入れたりするから、戦略のうちだ。
それに対し宗教法人は、利益追求の必要がないから既得権化される。例へば戦後のXX会については、理事が全員辞任して新しい体制になったことが、何回かあった。昭和45年に布教活動を停止したときは、布教を目的とするXX会は、解散するか、理事を全員入れ替へるか、専従職員縮小の年次計画を立てるべきだった。
五月九日(土)3.(手段の暴走)編
目的のために手段がある。それなのに目的が消失して、手段が暴走することがある。まづ飢饉疫癘元寇があったから、僧Xの布教があった。これらのない時代に僧Xの教へを保持や布教すれば、それは手段の暴走だ。
僧Xの佐渡流罪ののちは、教義が変化した。しかし変化した教義に付いて来れた人は僅かだった。いつ処刑されるかも知れない閉塞感と冬の寒さや食糧不足の中で、僧Xの心理状態がどうなり、教義へどう影響したかは調べるべきだ。科学万能の時代には、ここまでやった上で、どうすれば社会に貢献できるかを考へないと、手段が暴走する。
五月十日(日)4.(布教団体の暴走)編
XX会は布教のための行動隊だった。だから昭和四十五年に布教を停止すると、暴走した。しかし内情はもう少し複雑だ。
布教隊長Xさんが会長になってからの特徴に、(1)他宗攻撃、(2)組織の多重化など役職の大量化と議員の存在で会員に出世意欲を生じた、(3)布教隊長Xさん個人の魅力で入会する会員が増えた。
布教のための団体だから、入会のきっかけが何だらうと、人数が増えることはよいことだった。しかし布教を停止したあとは、(2)と(3)の会員が多いことが組織に影響を及ぼした。
一方で、妻帯準僧侶Xさんが管長になってから、旧本門宗X寺派は新興宗教化した。或いはカルト化した。さうなる前のXX宗を一番保つのが、そののちX寺派から顰斥(ひんせき、僧籍剥奪)された正信会だ。
前に、XX会はX寺以外の旧本門宗(北山本門寺、西山本門寺、京都要法寺、保田妙本寺等)と連携したらどうかと提案したことがあった。或いは、正信会と連携する方法もある。
五月十四日(木)5.(状況の暴走、人事の暴走)編
状況が変はれば、戦略を変へなくてはいけない。場合によっては、人事も変へなくてはいけない。企業はそれをできたところが生き延びる。ところが宗教団体は、それができなくても生き延びるから、社会に有害なことがある。
戸田さんは、布教行動隊長として布教隊長Xさんを指名した。昭和四十五年に布教を停止したのだから、状況は変はった。それでも最初は、アメリカ、ソ連とは別の、第三の道を進まうとした。これは戸田さんの構想に沿ったものだった。次に、保守(自民党)、革新(社会党、共産党)とは別の、社会党右派公明党民社党の路線も進めた。これは戸田さんの構想とはかなり異なったものだが、まだ許容範囲だった。それに対し、今の自民党との連立は、戸田さんの路線に反するものだ。
人事の暴走は、宗教団体で特に起こりやすい。会長や法主に特別の権力、権威を与へるものだ。XX会は、戸田さんが信用組合営業停止になったときに理事長を辞任したり、過去に理事全員が辞任するなど、役員の入れ替へが何回かあった。
ところが、いつのころからか会長に特別な権威が生じた。それでも布教行動隊長だったから権威と義務の平衡が取れた。布教を停止したあとは、権威だけが残った。
この場合にXX会だけを批判することはできない。旧本門宗X寺派は、隠居の五十九世法主堀日亨師がゐたので、戸田さんは自在に布教ができた。日亨師が遷化し、六十五世も遷化してから、人事の暴走が始まった。布教隊長Xさんが、六十六世の時代に布教を完成すると宣言したことも原因ではあったが。
五月十五日(金)6.(僧X信仰に大組織は不要)編
昭和四十五年にXX会が布教を停止し、もはや僧Xの教義を広めることは不可能になった。広めることが目的の教義を、広めることができないのに信仰すると、性格が悪くなる。
それを防ぐには、目的を持てはよいことも指摘した。門祖の伝統を守るのは尊い目的だ。しかし大組織には似合はない。例へば狂言や能を少数の役者や愛好者が守るのはよいことだ。しかし多数の国民が役者や愛顧者になったら有害だ。
X宗は大き過ぎる。だから天台宗に復帰することを勧めた。XX会も人数が多すぎる。新興宗教化した旧本門宗X寺を元に戻すことを目的に、正信会と連携するか、旧本門宗と連携するとよいことを先日話した。(終)
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