千四百四(その二) 二つの山越へ道
庚子(仏歴2563/64年、基督歴2020+3+α年、ヒジュラ歴1441/42年)
一月八日(水)
三十八年前に団体で佐渡ヶ島へ旅行した。貸し切りバスで埼玉から新潟港まで夜行だった。関越自動車道を走るうちに寝てしまひ、気が付くと深夜に国道17号の山道を走ってゐる。左右に曲がるので目が醒めたのだった。関越自動車道が全線開通する前の話だった。
前方に山があり左に曲がるときは、黄色のランプが点滅して左を表す。判り易く説明すると3箇所のうち2箇所に電球を入れたものを、5組くらい直線に並べる。各組で同時に001を010にして000を暫く続ける。次にまた最初から繰り返せば、左に曲がることを示す。左折のあとは坂を上がり右折しまた坂を上る。
そのうち山道の走行にも慣れたのか再び寝て、気付いたときは再び関越自動車道を走行してゐた。どうやら三国峠の周辺が未開通だった。このときの走行では、次から次へと現れる黄色の点滅が記憶に残った。

一月九日(木)
四年前に、路線バスで新潟まで往復した。関越自動車道は三国トンネルで峠を越えるから、長いトンネルだ程度の感想で済んでしまふ。しかし私には三十四年前の記憶がよみがへった。あのたくさんの黄色の点滅である。
ストリートビューで国道17号を追ったが、前方に崖のある急カーブはない。そのときはそのまま終了した。

一月十日(金)
高崎の達磨寺に行った帰りに、信越線で横川駅まで行った。駅前の寂れた元商店街は、中山道の旧道だった。この先をストリートビューで追ふと、国道と合流し、その先で国道自体が碓氷バイパスと本道に分かれる。本道は急カーブが続く。三十八年前の急カーブはあるかと軽井沢まで見たが、急カーブはあるものの記憶にあるものとは違った。
ここまで、東京都や埼玉県内の人は何の疑問もなく読めたと思ふ。一方、上州、越後、信州住人は変だと思ったはずだ。東京と埼玉にとって、国道17号と中山道は同じ意味だ。上州、越後、信州にとって、高崎から先は国道17号が北方の新潟市に、中山道は西方の浄土、ではなかった西方の京都市に行く。
私は何の疑問もなくストリートビューを見たから、信越線のアプト式レンガ橋が右に見えるところで、懐かしく思った。中学の林間学校は四阿山で、このレンガ橋を右に一瞬見たからだった。当時は、アプト式が廃止になって四年目。観光名所になる前だからバスガイドは説明せず、たまたま右側を見てゐたので気付いただけだった。

一月十一日(土)
国道17号の高崎から先は三国街道だ。急カーブがない理由は、国道の三国トンネルが完成したためだらう。しかし調べると三国トンネルの完成は1959年(昭和34年)だ。或いは東北自動車道から南会津郡を抜けて長岡に出たのか。今となっては疑問が深まるばかりだ。

一月十二日(日)
東北自動車道の大田原から国道400号と352号で魚沼に出る経路と、同じく東北自動車道の白河から289号と252号などで長岡に至る経路を、Youtubeで見ると車線が引いてない区間があるなど、大型バスの走行には不向きだ。私の記憶でも、17号を走ったと思ふ。
三国トンネルの完成は1959年でも、途中の道路では急カーブ解消のためその後も道路工事が続いたのではないか。これが、現時点で最も可能性が高い結論だ。(終)

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