千三百八十八 3.介護保険、4.ミャンマー人の経営する「油そば力」繁盛の理由、5.再度の「お母山」
己亥、西暦2019、ヒジュラ歴1440/41年、紀元2679年、仏歴2562/63年
十一月二十日(水)
母の介護保険の打ち合はせで、午前半休を取った。ケアマネージャー、デイセンターの担当者と打ち合はせのあと、高田馬場で12時半から営業すると云ふミャンマー料理の店「さくら」で昼食を食べ、午後1時45分までに会社に行かう。さう計画を立てた。
ところが打ち合はせが長引き、終ったのは12時過ぎだった。途中下車すると会社に間に合はないので、家で昼食を食べた。
十一月二十一日(木)
昨日の予定は前から立ててあったので、無くなると代はりに行きたくなる。早速本日私用外出を取った。
高田馬場駅から早稲田通りを数分歩くと、「油そば力」と云ふミャンマー人が経営するお店がある。そこで「油そば塩 特盛り 850円」を食べた。並盛り、大盛り、特盛りとも値段は同じだ。他に「油そばしょうゆ 850円」「油そば辛味噌 900円」があり、これらも大盛り、特盛りとも値段が同じだ。
今回は、店を紹介する記事を書くため、特盛りを注文した。「ミャンマー風油ビーフン 1000円」「ミャンマー風汁ビーフン 1000円」があり、これらは大盛りは200円増しだ。
午前11時半ころ到着すると、先客が一人ゐた。店主とミャンマー語で会話をしてゐた。先客が店を出た後、日本人がポツポツと3人入った。私が店を出たのは12時前だから、かなりの繁盛だ。さすが駅前通りだ。
と同時にこのときは、油そばがミャンマー料理だと思ってゐたから、油と云ふどちらかと云へば健康に悪い命名で、なぜ人気があるのか不明だった。
インターネットで調べると、昭和30年代に油そばが東京の三多摩で生まれ、1996年(平成8年)に全国に広まったさうだ。尤も私は今回、ミャンマー人経営の店に行くまで油そばを知らなかったから、今でも知る人ぞ知る料理なのだらう。
ここの店の特徴は、店外にはミャンマーを出さない。店内にはミャンマービール(650円)、ミャンマー風油ビーフンなど、ミャンマーを出す。日本人客を取り込むとともに、二回目以降にミャンマーへ誘導するから、これはよい方法だ。
ミャンマーそばを日本に合はせたことも書いてある。油そばは、日本国内ではチェーン店もあるから、その真似ではないことを謳ふ。これもよい方法だ。
十一月二十二日(金)
高田馬場が中国街になりつつある。そんなニュースを読んだ。中国人留学生の急増が理由だ。早稲田大学や日本語学校が近くにある。早稲田通りに面した店舗が閉店すると、何人もの中国人が賃貸希望で来るさうだ。
しかし最近はアプリの発達で、裏通りでも繁盛すると云ふ。しかしこれは中国人向けの店舗の場合だ。ミャンマー人は、中国人より人数が少ないから、日本人を相手にしないと、ランチでの繁栄は難しい。ディナーは判らない。私は夜に食事をしたのは、ババミャンマーヌードルで一回だけだ。
十一月二十六日(火)
本日は、再度「お母山」で昼食を食べた。前にインターネットで昨年9月の写真を見た。「お母山」の店内にミャンマービール、ミャンマー産そば焼酎、ミャンマーウィスキーのメニューが貼ってある。店の看板にミャンマー文字とカタカナで「ミャンマー」と書かれた写真もある。
前回昼食を食べたときは、確かどちらも無かった。別の人がアップした写真では、ミャンマー文字とカタカナの「ミャンマー」が消えた写真もある。
私の予想では、ミャンマー色を一掃したほうが新しい。しかし一般論としては、韓国街の最東端にある和牛の焼肉店を出発点に、人気が出た時点でミャンマー色を出すことはよい経営戦略だ。
行ってみると、私の予想が当った。看板にミャンマー文字とカタカナは無かった。過去に何回か料金改定をしたときに客足が落ち、対策としてミャンマー色を出さなくなったのかも知れない。
前回は850円の焼肉定食を食べたが、本日は720円の日替はり定食を食べた。これは価格満足比が高い。「お母山」の特長に価格満足比を挙げる人が多いものの、前回食べた焼肉定食は肉が薄く、それほど価格満足比が高いとは思はなかった。とは云へ低くはない。
今回は、価格満足比が高い。12時前なのに店内を見渡すと、サラリーマン四人組と、サラリーマン一人がゐる。メニューをよく見ると、ホットかアイスのコーヒーがサービスとある。前回はこれを飲むのを忘れた。日替はり定食も付くはずなので、念のため尋ねると、やはり付く。コーヒーカップ半分の量だが、おいしく飲んだ。
店主の奥さんの対応から、前回は経費節減のため付けなかったのではなく、希望者のみ付ける様子で、ここは良心的でお薦めの店だ。(終)
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