千三百七十七 職場と自宅周辺の話題(自転車。母の通院途中にプラザ合意の中小企業苦境を考へた。ウェルシアの開店)
己亥、西暦2019、ヒジュラ歴1440/41年、紀元2679年、仏歴2562/63年
十月二十六日(土)蕨高校周辺
自転車で東京方面に南下し、蕨高校の周辺を走って帰った。蕨高校通りは蕨高校の通学路とばかり四十五年間思ってきたが、校門より1区画遠回りになることを初めて知った。商店街としてはかなり寂れたが、色付きの舗装材を一部に用ゐて努力はしてゐる。
東急リネンサプライが無くなったことも初めて知った。今までも何となくそんな気はしたが、ペリカン石鹸が無くなったことのほうに気を取られてゐた。
調べてみると、東急リネンサプライ蕨工場は1963年落成、2006年閉鎖とある。東急リネンサプライとペリカン石鹸は背後で隣接し、今は跡地に境界に路地ができた。
ペリカン石鹸の跡地は国道沿ひにパチンコ屋、ファミレスなど、裏側にトイザラスとマルエツ北町店が入った。そのときは何とも思はなかったが、マルエツ北町店はここではなかったはずだ。調べるとやはり北町公園の裏だった。この道路は蕨高校の横からそのまま走れるが、私は左折しすぐ右折で蕨高校通りを走るのが常だった。

十月二十七日(日)外環、旧中山道
自転車で深く考へず国道、外環、旧中山道を走った。外環は、一番外側の道が防音壁からときどき歩道側に分岐する。そのまままっすぐ進むと行き止まりなので、路面に引かれた白線に沿って本線に合流し、すぐ先の信号を渡らうとしたら、右側を別の自転車が高速で走り抜け直進し歩道に入った。私は白線に沿ったからこちらが直進で、白線を超えて歩道に入るほうが左折だ。幸ひ衝突しなかったが、これは想定外だった。
外環を信号で渡り、旧中山道を暫く走ると、突然左から自転車が飛び出し、この場合鈴を鳴らしたのでは間に合はないから、大声で「危ない」と叫び、私は停車したが相手も停車し、タイヤの先の距離は15cmだった。まあ私が停車したから相手がもう少し先で停車しても大丈夫だが。

十月二十九日(火)マルエツ北町店と旧本社
かつてマルエツの本社は蕨にあった。マルエツ蕨店のすぐ向かひにマルエツのビルがあり、子会社が入居するから、ここが元の本社だ。その一方で、京浜東北線の線路の東側に本社があったと云ふ記事を読んだ記憶がある。
蕨テントは別に、今は閉店した北町店(今の蕨北町店とは別の場所)で、昭和四十八年くらいに店長殺害事件があった。

十一月一日(金)東京から浦和に引っ越して思ったこと
東京から浦和に引っ越して、出掛けることが大変になった。東京のときは歩いて5分で地下鉄に乗れる。8分で大手町に着いた。郵便局でもらった逓信総合博物館の招待券で年に3回は行った。大手町以外の場所も便利だった。
それに比べて浦和は、駅に行くまでで大手町と同じ時間が掛かる。そこから上野まで30分、東京駅まで40分。ここで重要なことは、どこかに行くのが不便になることではない。歴史と断絶することだ。
東京なら、谷中の寺町は歩いて5分、彰義隊の上野公園は15分。浦和は宿場町でも、それは市の中心部だけで回りは農村だった。人口密度が低い時は、浦和宿、蕨宿、都内の板橋宿までが地元だった。しかし人口が多くなると地元は狭くなる。歴史の断絶である。

十一月二日(土)母の通院途中にプラザ合意の中小企業苦境を考へた
母を月一回の通院に連れて行った。今までは行って申し込んで待ったが、見てゐると申し込んで後から来る人が多い。今日は七時二十分に申し込んだ。十一番目だった。九時四十分に家を出ると丁度前の人で、わずかな待ち時間で済んだ。しかしこれだとぎりぎりなので、来月はもう少し早く、家を出たい。
行く途中で、ここに昔、電線工場があったと云ふと、道路に電線を巻いたものがよく置いてあったさうだ。私はまったく記憶が無い。国会図書館で昔の地図を調べて、ここが電線工場だと判った。
電線工場は電柱の送電線を作ったのだらうと思ってゐた。だから電線を巻いたものは直径1mくらいだらうと想像したが、家に帰って訊くと直径30cmくらいださうだ。なるほど室内配線用かと思った。
昔は、あちこちに中小の工場があった。プラザ合意で徐々に消滅した。大企業は、下請けを切り捨てて生き延びた。中小は多くが廃業した。中曽根康弘のプラザ合意は、悪質なものだ。国賊、売国奴と言ってもよい。

十一月三日(日)ウェルシアの開店
会社の近くで、ウェルシアが先月24日に新規開店した。四日間は20%引きだったが、買ひたいものが安くは無かったので、まだ一回も買ってない。
近くのファミリーマートがどうなるか心配だ。郵貯のATMがあり毎月使ふし、公共料金を払ふため窓口も使ふ。年に数回は買ひ物もする。私にとってはファミリーマートのほうが便利だ。ここが閉店しても、藤圭子が飛び降り自殺したマンションにあるが、これまでお世話になったのだから続いてほしい。

十一月四日(月)牛乳とインスタントコーヒー
自宅の話題に戻ると、母が勝手に買ひ物に行き、これまでに2リットルの牛乳を二回買った。私は健康のために毎日、無糖のヨーグルトを食べる。一種類だけ腸の動きが変になることを前に書いたが、牛乳が減らないので、朝のヨーグルトを夜に回して、朝はインスタントコーヒーを牛乳に溶かして飲むやうになった。
数日前から便秘気味になった。牛乳が原因なのか、朝起きたら一杯の水を飲むが、水の代はりに牛乳を飲むのが原因か、夜に回したヨーグルトを二日に一回の割合で忘れることが原因か、まだ不明だ。

十一月五日(火)Facebook
Facebookにお寺のアカウントがあり、行事の様子が載る。ミャンマー語なのでGoogleの翻訳機能を使ふが、精度が悪く何となく意味が分かる程度だ。
三日はカテナ衣献上のお祝いが和光のお寺であった。雨季が明けて、衣を献上する。私は行かなかったが、写真と動画がアップされた。
東松山の戒壇開所儀式に参加した私以外の四名は参加してゐた。経典学習会に来る日本人には、瞑想に興味のある人が多く、経典に興味がある人がそれに次ぎ、四名以外は行事には参加しない。私は混んだ場所が苦手なので、あまり参加をしない。
上座部仏教修道会もアカウントがある。宮城県南三陸町に上座の大仏が建立された。先の大震災の慰霊のため篤信の方々が寄進された。和光のお寺寄進の責任者の方が前回の学習会終了後に、最初はパコダを計画したが大仏になったと話してくださった。
ニャーヌッタラサヤドーなど5名の比丘が参加した。中板橋、和光の比丘は参加されなかった。

十一月六日(水)デイセンター
ケアマネージャーと相談し、母が別のデイセンターのお試しコースに行くことになった。暫く中断したので、これで少し安心した。家には、母が勝手に買い物に行って買って来たトイレットペーパーなど四袋ある。家に一人にしておくと心配だ。(終)

行動心象日記(二十九の一) 行動心象日記(二十九の三)

メニューへ戻る (その一)へ (その三)へ