千三百七十一 秋の特別企画第三弾 ユーカリが丘訪問記
己亥、西暦2019、ヒジュラ歴1440/41年、紀元2679年、仏歴2562/63年
九月二十八日(土)
明日、佐倉に用事があり、しかし午前11時には終はるので、どこか寄ることにした。京成バラ園は本日は入場が無料だ。その次の日に入園料を払ふ選択はしにくいので、またの機会にした。 船橋アンデルセン公園は、バス出発駅の北習志野に行くのに電車賃が結構高いし、北習志野もときどき行く用事があるので、そのとき寄ることにした。 これで候補地はなくなったが、考へるうちに新しいところを見つけた。ユーカリが丘線に乗ることだ。調べるとユーカリが丘の住宅地は、山万と云ふ不動産会社が街造りの理念に従って開発した。ユーカリが丘線もその一環だ。

九月二十九日(日)
京成電鉄を降りたあと、まづYOU!PLAZAに行き、各階を見た。ユーカリが丘線の駅に行き、中学校で降りた。山万ビオトピアプラザと云ふ商業施設があり、2階は進学ゼミ、パソコン教室、小児科、内科整形外科、薬局。1階は千葉銀行のATM、閉店し撤退したばかりのマックスバリュー、まもなく入る予定の同じく広大な空き店舗。老人ホームの横から女子大学まで歩いて戻った。
ここから井野駅まで乗った。住宅街を歩いたり小学校前まで行った。まだ時間があるので農地方面に歩いたが、発車時刻が近づいたので戻った。
ここから公園前まで乗った。駅前を少し見ただけで、再び中学校まで乗った。ローソンで昼食を買ひ、宮の杜公園で食べた。
中学校は待ち時間がかなりあるので、井野まで歩いた。トンネル超えてユーカリが丘線内側の農村地帯の道路を歩いた。梵天塚と云ふバス停を見つけ、このときは内側だと思った。
井野から地区センターまで乗った。ボーリング場側階段から地上に降りたあと、立体駐車場側の階段を上がった。風景をよく見るため、一周ののちユーカリが丘駅で降りた。そして京成電鉄で帰った。

十月五日(土)
市街化調整区域のおかげで、農地が保全されてきた。昭和五十年辺りまでは、人間の居住地の近くに農地が必要とする思想があった。或いは敷地のある住宅地には植木を育てる思想があった。
東京は市域が大きくなりすぎたが、足立区、世田谷区、板橋区には田畑が広がってゐた。東京都に隣接する埼玉県川口市には安行と云ふ植木の名産地があった。
ユーカリが丘団地はその思想を受け継ぐ。しかし心配なことがある。佐倉市役所のホームページを見ると、今年四月から、半径150メートルの範囲内で40(20以上の建築物が市街化調整区域内に存している場合において、市街化区域内に存するものを含む。以下同じ。)以上の建築物がある地域や、敷地間の距離55メートル以内で40以上の建築物があるときは、市の担当課と事前協議の上で誰でも自己居住用の住宅を建築できるやうになった。
これではがん細胞と同じで、市街化調整区域がどんどん侵食される。(終)

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