千三百三十五 夏休み特別企画第二弾 東急バス1日乗車券で横浜市の鶴見区と港北区に行く(詳細データ公開)
己亥、西暦2019、ヒジュラ歴1440/41年、紀元2679年、仏歴2562/63年
七月二十日(土)
先日ケアマネージャーとデイケアセンターの方が来られ、担当者会議を開いた。介護保険のお金を使ふ以上、定期的に開催される。そこでの話で、母を本日、脳神経外科で診察してもらふことになった。
ところが昨夜になって母が行かないと言ひ出した。妻もそのため本日の時間を空けたし私も予定に入れたので、かなりの激論になった。しかし「ぼけた親と地頭には勝てぬ」の諺(そんな諺あったか?)で本日は中止になった。
突然空いた時間の対策と、気分転換のため、東急バス1日乗車券(510円)で25年間在住した横浜の三箇所を巡ることにした。普通に鉄道を使へば、往復802円で済む。時間も新宿から片道35分だ。東急バスを使ふ理由は、1日乗車券が便利なのでこれを応援しよう。
本来なら鉄道を使ふにせよ、バスを使ふにせよ、旅行の必要はまったく無い。それなのに需要を1つ開拓したのだから、東急バスの完勝であった。片道六路線に乗車するから往復で2600円余。それを510円だから、東急バスが2100円弱の損と短絡してはいけない。これは東急バスの510円圧勝だった。
この日は急遽実行したので、新宿駅から幡ヶ谷折返場までの距離を調べなかった。だから新宿駅を降りたとき、発車時刻に余裕があると思ひ、普通に歩いた(と云っても一般の人よりかなり早いが)。途中で遅いことに気付き走ったが、バス停にバスは無かった。丁度、スマナサーラ長老が歩いてゐたので、一言二言話し、仏像に三拝しようと長老に続いて中に入らうとしたが、受付があり人がゐる。
寄らない予定だったので、半ズボンだ。このまま参拝すると失礼なので仏像を遠いところから拝まうとしたが、受付に人がゐると更に事情は異なる。スマナサーラ長老は、どうぞと言ってくださったが、扉の外から合掌するだけで、バス停に向かった。
バスの発車時刻まで28分ある(と云ふことは2分の遅刻だった)。幡ヶ谷駅前にダイエーと云ふ懐かしい名前のスーパーがある。ここで350mlのお茶65円くらいにするか、スポーツドリンク2リットル95円くらいにするか迷ったが、後者にした。これは間違ひだった。この日は小さなバッグだっのでスポーツドリンクと折りたたみ傘と三つを持つことになって煩はしくなった。
まづ渋谷まで乗った。バス停が大きく変更されたので驚いた。事業所が鶴見から鍋屋横丁に移転ののち、最初は渋谷から京王バスを使った。途中から都バス宿91を使ふやうになった。最後は丸の内線を使ふやうになった。京王バスの乗車位置は昔と変はっていなかった。本日は二子玉川駅行きに乗った。
この路線は、かつて路面電車の玉川線だった。小学校五年くらいの遠足でバスが玉川通りを走り、並行する緑色の路面電車が見えた。その後はバスの時代を経て地下鉄になった。終点の一つ手前の二子玉川でほとんどの乗客が降りたが、私は終点の二子玉川駅で降りた。単に次の交差点を左折するだけだった。歩いて二子玉川のバス停に戻り、駅ビルを兼ねたショッピング街のトイレに行った。東急バスに儲けさせるのだから、同じ東急グループを使はせてもらった。
高津営業所方面バスの時刻表を見て驚いた。土曜は二時間高津営業所行きのバスが来ない。向ヶ丘遊園地行きが1時間に1本あるのだが、準備不足のため、そこまで思ひが行かなかった。しかし「捨てるバスあれば、拾ふバスあり」の諺(これもそんな諺あったか?)のとほり、小杉駅東口行きのバスがある。これに乗ることにした。
かつて国際興業バスで、東京と埼玉の間は、笹目橋、戸田橋、荒川大橋で都県境を越えた路線があった。今は、笹目橋を越えて下笹目までが1路線と、荒川大橋を越えて足立区内は都内に戻るものは例外で、鳩ケ谷方面が2路線だけになった。
東急バスも同じことを気にしたから、都県境の高津営業所と五反田川崎線は気にしたのだが、東急バスは神奈川県側に南武線沿線ブロックと日吉綱島方面ブロックの疎遠点として蟹ヶ谷があり(野川、久地もあるが北側に大回りになる)、こちらを気にするため、小杉を完全に忘れてゐた。
私は富士通マイコンシステム時代は小杉だったから、昼休みに丸小橋まで散歩に行ったことはあるのだが、完全に知らなかった。知らないと云へば、小杉駅前から千年まで乗ったバスが上小田中を「かみこだなか」と読むので、正しい読み方を知った。富士通マイコンシステムは実質の本社機能は小杉ビルだったが、登記上の本店は富士通と同じで、川崎工場のある上小田中だったのに、である。

七月二十一日(日)
千年で綱島行きのバスに乗り換へた。車内がかなり混む上に、乗る時、運転士に「ずいぶん遅れたね」と話し掛ける人が四人ほどゐた。吉田橋で、この先混雑のためお急ぎの方は歩いてくださいと云ふので、私も歩いた。何回か来たことがある。確か買ひ物だ。たぶん焼酎を買ふときに、一回目の引っ越しのあと10年以上してドラッグストアが開店した。もう少しでポイントが溜まるので、二回目の引っ越しのあと、綱島まで買ひに来たことが、徐々に蘇ってきた。
綱島から駒岡経由日吉駅行きに乗り、明治横浜研究所前で降りた。トレッサに入りトイレを借りた。ここの食堂で昼食を食べる筈だった。その筋(妻?)からの行政指導で、昼食は公園で食べないやうに云はれてゐたからだ。ところがトイレが西洋系音楽でうるさい。私はトイレなど使ったときは、そこにもきちんと儲けさせてあげるが、うるさいのは商業施設が悪い。そのまま出て二つ池の方角に歩いた。
獅子ヶ谷5:02 2019/07/23のドラッグストアで昼食を買ひ、綱島で買ひに行った店はクリエイトだと判った。結局は公園で食べたが、スポーツドリンクを消費するのに役立った。途中トイレに行かず、しかも脱水にならないために、スポーツドリンクの残量がまだ半分はあった。
夏休み特別企画第一弾越中越前旅行で、食事は買ひ物を多用した訳が判った。買ひ物だと待ち時間がない。疲労が無い。だからあちこちたくさん廻れるし、翌日も早朝から散策できる。
このあと二番目に住んだ家の跡(今は土地購入者が新築)を見た。うちの子が二人通園した幼児園は、有料の英語教室などを七つくらい始めた。最初に住んだ賃貸マンションを見た。賃貸マンションの郵便ポストに、三軒くらいを除いて名札を入れないことに驚いた。かつてはすべての入居者が入れてゐたのだが。
このあと、寂れた商店街に行った。かつては鶴見区内のモデル商店街だったさうだが、今では三軒が商店、食堂が数軒。あとは民家または空き家になってしまった。近くに保育園が出来た。幼児園がいろいろな教室を始めたのはそのためかも知れない。
高速環状線の出入り口付近の工事がまだ行はれてゐる。菊名記念病院の隣が駐車場と空き地なので、何があったか考へ、横浜市医師会経営の看護専門学校だと判った。市立のコミュニティハウスでトイレに行った。25年間市民だったのだから、ここは無料で使用してよい。
二番目に引っ越した賃貸マンションに行った。郵便ポストにほとんどの人が名札を入れない上に、短期で引っ越す人が多いので入居したときは驚いたものだった。ここからはドンキホーテ、区役所、眞子様と婚約内定の小室さんの実家、たくさんのレストラン・スーパー・コンビニが近くて便利だったので、引っ越したのは惜しかった。
しかしその前に持ち家を、子供の大学進学のため売ったときに、母をここに引き取る予定だったから、ずいぶん無駄をしたと思ったものだった。その後、母のぼけがひどくなったのと歩行が困難になったため、賃貸マンションを契約満了前に終了し、一か月フリーレントが無効になったことも痛かった。
浦和に引っ越して11ヶ月。懐かしさが九割、残念だった気持ちが一割だった。

七月二十二日(月)
このあと新横浜まで歩き、綱島行きに乗らうとしたら、2分前に出発したばかりだった。スマナサーラ長老の因縁がまだ残ってゐた、と云ふのは冗談で、私が時刻を調べなかっただけだった。30分間、新横浜駅ビル内を見て、今まで何回も電機製品を買ひに来たからよく知ってゐる筈なのに、最上階にホテルがあることを新発見した。次のバスに乗り、吉田橋で新城駅行きに乗り換へ、千年、小杉駅で乗り換へ、二子玉川では再度トイレを借りた。
二子玉川では高架と鉄橋跡(鉄橋は既に無い)がある。かつての玉川電車は、今の二子玉川駅の位置にあったのかと判った。幡ヶ谷折返場行きに乗り換へるとき、間違へて大坂上で降りた。一停留所歩くと、次のバスまで20分以上ある。前回は渋谷から鉄道で帰った。今回は1日乗車券で三箇所の居住跡を廻る夏休み特別企画第二弾だ。妻にはLineで家到着が八時半になると連絡した。
渋谷駅前まで歩き、10分前にバスが入線してゐたので、これに乗った。幡ヶ谷折り返し場では、少し戻ってスマナサーラ長老のお寺を外から観た。室内で八人くらいが坐禅、三人くらいが歩行禅をしてゐた。受付があるので、瞑想指導会に違ひない。
玉川上水の旧水路跡を始めて新宿駅のすぐ手前まで歩いた。今までは、まさかここまで無いだらうと、その手前から甲州街道に合流したためだ。今回の小旅行でも、多くの気付きがあった。(終)

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