千二百九十七 上座に関係する書籍を読む(2.中村元選集第12巻「原始仏教の成立」)
平成三十一己亥年
四月二十四日(水)第二編第二章
中村元選集第12巻「原始仏教の成立」は昭和四十三年に出版され、中村さんが将来、原始仏法中興の祖と呼ばれてもおかしくない内容だと感じた。これ以降の著作は、大乗への傾斜が多くなるやうに思ふ。それは中村さんが教へる学生に大乗の関係者が多いためではないか。この書籍は、さうなる前の、パーリ語の経典に出会ひ感動が残るなかでの著作だと思ふ。
ブッダの一生のうち、菩提樹の下で悟りを開いたあとは、等しく仏法とすべきで、最後の教へほど正しいとすべきではない。そのことが中村さんの思想には貫かれてゐると感じた。
最初期の仏教は(中略)詩句の部分が古いことは、しばしば指摘されるところである。しかしその中でも(中略)理想の修行者を「バラモン」(原語略)と呼んでいる部分のあることが考えられる。これは仏教が仏(Buddha)を崇拝する以前の段階である。仏教がまだ<仏教>となっていない段階であり、そこに説かれている教えもジャイナ教などと殆んど区別がない。
(207頁)
次に
修行者をsaman_a(沙門、n_はnの下に点)と呼ぶことは仏教でもジャイナ教でもかなり古くから行なわれていたが、仏教でもジャイナ教でも理想の修行者を「バラモン」とよんだ段階のほうが以前であり、最古のものである。
(207)
それが
仏教もジャイナ教も力が強くなるとバラモンの権威をかなぐり捨てて、サマナであるという態度を強く打ち出すようになったのであると考えられる。
バラモンを理想としていたその次の段階になると、理想の修行者は<ブッダ>または<アラハー>(araha)と呼ばれるようになり、さらにその次の段階になると「仏」と「阿羅漢」が区別されるようになる。
(209)
「仏」と「阿羅漢」が同じなのは今でも当然だ。強いて云へば、自身が行ふと同時に説くのが「仏」、それ以外が目指すのが「阿羅漢」。それなのに日本の仏道界では、上座は阿羅漢にしかなれないが、大乗は仏かその一つ手前の菩薩を目指す、と主張する人が多いのには驚く。

四月二十六日(金)第二編第三章
ゴータマは自分のもとに集まった人々のことを「わが人」(原語略)と呼んでいる。かれに帰依する人々は、古くはすべて弟子(原語略)と呼ばれていた。その原義は、恐らく「教えを聞く人」という意味であったらしい。(中略)「教えを聞く人」(原語略)というときは、出家指導者を意味することもあったが、また在俗信者を意味することもあった。(227)
在俗信者が出家修行者を支へるのは、独身を守りつまり子孫を残すと云ふ重要な役割を放棄してまで修行に打ち込む人たちは真情的に支へようと思ふし、何よりインドの習慣だと思ってきた。その習慣は今でも上座の国々に受け継がれてゐるが、ゴータマの教へを聴きたい人が多かったことは注目すべきだ。自身の修行が目的ではなく、立派な修行者の話を聴けば神々も称賛するし、来世は天などよいところに生まれる。一方でゴータマと同じやうに修行する人たちは、周りにたくさんの信徒がゐるからそれが励みになり阿羅漢になる。この良い回転が続くから仏法は繁栄したのだらう。
ところが教団が発展して、教団の権威が確立すると、出家修行者は在俗信者に対して、一段と高いところに立つようになる。他方、在俗信者は一段と低いものと考えられる。そこで、<教えを聞く人>(原語略、声聞)とは、教団で集団生活をしている出家修行僧にのみ限られるようになった。しかしそれは、後世になってから意義が変化したのである。
(231)
今では当てはまらない。信者は強制されて出家修行者を敬ふのではなく、自発的に敬ふ。托鉢や儀式などで出家修行者を敬ふのは信者に功徳があるためだ。出家修行者は決して威張ってはゐない。
なほアショーカ王の時代のやうに国王や富豪から寄進が多くあった時代は、出家修行者と信者に距離があったことも考へられ、それが大乗の生まれた原因とも考へられるし、大乗経典は部派の瞑想用資料として編纂されたものが、そのやうな時代に独り歩きしたとも考へられる。
少なくとも現在の上座の国々は、出家修行者と在家が調和してゐる。
最初期の仏教は必ずしも特定の道徳体系ではなかった。われわれの我執をなくし、何ものにもこだわらぬという立場をとっていた(以下略)
(267)
我執なく修行に励めば、自然に戒を守った状態になるとは、歴史上多くの偉人が考へた。だから伝教大師は上座戒を捨てても、大乗戒を保てば大丈夫だと考へた。実際には僧兵の出現で失敗するが。
だから、ゴータマの初期教団が戒を持たなかったのは当然だが、その後、戒律が整へられ、部派の各派が類似する戒律を持つやうになったことは尊重すべきだ。戒律は二千五百年続いたのだから。
次に、ゴータマが在家信者に法を説いた。この事実が、修行だけではなく慈悲も必要なことを示す。
古い詩句について見る限り、節食減食を賛嘆している文句のほうが圧倒的に多い。(中略)食物をどのくらい摂取するかという問題についても、最初期の仏教はジャイナ教的であり、のちになると仏教的な中道の立場が表明されるようになったのであろう。

ゴータマの時代を探るには、現在まで続く上座を経由して探すべきだが、部派の文献などを調べて探すことも悪いことではない。このあと中村さんはウポーサタ、雨安居、僧の堕落に触れ、この部分は南方仏法と距離を持った書き方で、知らない人が読めば誤解しやすい。今のウポーサタが当時と違ふと云っても、それは二千五百年経過したのだから当然で、それより二千五百年間続いたことを称賛すべきだ。僧に限らず堕落は一年で始まる。だから反省が常に必要だが、過去に何回も国王などにより厳格化が行はれただけではなく、近代の戒律厳格派(タイのタンマユット派、ミャンマーのシュエディン派など)の登場と、それにより従来派も厳格化が進むなど、良い状態が続く。(終)

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