千二百八十六 女性従業員Sさんの送別会
平成三十一己亥年
三月二十九日(金)
Sさんが寿退職することになった。数年前にSさんが入社したのは、採用業務を本社から事業所に移管することになったためだ。実際には別の女性(去年出産退職)が採用に回り、Sさんは事務担当になった。人事を希望するとは云へ勤務時間や健保の処理が希望で、採用希望ではなかったから、これは良い選択だった。その直後に健保組合の会議室でキックオフミーティングがあり、私が連れて行ったのだが、昨日のことのやうに感じる。
本日送別会があり、一人一分以内で送る言葉を話すことになった。私は次のやうに話す予定だった。
xxさんの仕事に欠点がある。それは机の引き出しを閉めるのがときどき乱暴だ。
注意しようかとおもったが、xxさんはは性格が良く、仕事も熱心だ。
熱心な仕事に邪魔をしてはいけないので、そのまま仕事に熱中してもらふことにした。
丁度、一分で終はる。ところが、最初の1行を話し終へたところで、司会が1分以内でお願ひしますと云ふので、まだ20秒しか過ぎてゐないと言ひ返したものの、話に勢ひがなくなり、そのまま終りにした。
おそらく私の一生のなかで、今回のスピーチは一番出来が悪い。生涯で一番出来の悪い話を贈れたことは、最大のはなむけだ。なぜなら生涯で中央から数へて2014番上の話でしたと云っても、希少性がない。
あと今回は会場が最悪だ。隣との間隔が狭く窮屈だし、通路がないから便所に行くときに不便だ。飲み放題とは云ふものの、飲み物は四つのピッチャーに入れるから、同時に四種しか選べない。そもそもピッチャーが四つなど同じ話が何回も繰り返され、乾杯が十五分遅れた。しかも四つのピッチャーのうち一つはコーラを入れたから、効率に欠けた。会場と司会進行が最悪なのは、まったくはなむけではない。
三月三十日(土)
私から後の人は、全員が20秒で話すやうになったが、司会の女が私の話を中断したことは、10年以上前のY子さん急死事件を思ひ出す。今さら事件の内容には触れない。あの件で、団体交渉、都労委、中労委と大変な騒ぎになったからだ。
代はりにY子さん自身について説明したい。安田善次郎は財閥経営のため幾つか分家を創った。Y子さんのお父さんは分家の当主だった。善次郎は分家の当主が別の商売を始めることを禁止したが、雇用されることは禁止しなかった。そしてY子さんのお父さんは東京大学農学部の教授になった。
Y子さんが云ふには、工学部に行きたかったが農学部で農機の教員になったさうだ。定年後は民間に再就職を希望し、農機大手に就職したが民間はあまり合はなかったさうだ。Y子さんの実家はごく普通の木造で、当時の東京大学教授は質素な生活だった。一億総中流の時代だった。
私の上司はY子さんだが、亡くなる前日辺りにY子さんと今回の司会の女がエレベータに乗ったところ、Y子さんが苦しさうにしたといふ。だからこの件をそのときこの女に訊いたところ、驚いた顔をして「なぜそんなことを訊くのですか」と云ふ。この態度に不信感を持ったが、一度のことで人を判断してはいけないと、その後も普通に対応してきた。それなのに昨日の司会だ。
生涯で一番出来の悪いだけではなかった。安田財閥、都労委、中労委まで背後で巻き込む奥行きの広い話だった。それをはなむけにできたのだから、最大のスピーチだと気付いた。(終)
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