千二百七十四 角筈、淀橋の話題
平成三十一己亥年
二月十九日(火)
昨夜は帰宅するときに新宿中央公園北側交差点から新宿三井ビル1F、中央通り北側に出た。この経路のときはロータリー手前の地下二階連絡通路で中央通り南側に渡り、京王モール、甲州街道改札に行くのが普通だ。しかし今回は新たな試みで西口から入って東口から一旦外に出て、地上を甲州街道の先まで歩いてミライナタワー改札から再入場した。
今朝の出勤時は、途中まで昨夜の逆でミライナタワー改札から出て駅の東側を歩き、大ガード一つ手前の汚いガードをくぐり、思い出横丁の前、青梅街道北側に歩道橋を渡った。青梅街道南側のほうが距離は近いのだが、信号待ちが多い。私が青梅街道をあまり使はず、小田急第一生命ビル、新宿住友ビル、新宿三井ビル、新宿センタービルのどれかから中央通り地下道に行くのは、信号待ちを避けるためだ。青梅街道北側と云ふよい経路を発見した。
昼休みにタイ料理の弁当を買ひに行った。タイザップがまだ休業中だ。廃業したのかも知れないし、タイに帰国し親族の病気などで長引いたのかも知れない。ここの500円の弁当は、開店前に大量に製造するため、価格性能比の優れたものだった。
休業なのでサバイサバイで持ち帰り三番を注文した。野菜、肉など五目を油で煮たものに、目玉焼きご飯。タイザップのほうが価格性能比に優れるが、ここは注文してから作ってくれる。ご飯はインディカ米だし、五目を煮た油がおいしい。価格容量比では負けるが、価格品質比では優れるのだらう。

二月二十日(水)
昨日の帰りは、青梅街道北側から大ガード手前で信号を渡り、思い出横丁の中を歩きガードをくぐり、ミライナ改札から入場した。
今朝は、昨夜の逆を歩いた。朝は思い出横丁が空くので、昨夜に感じた距離の半分以下だった。朝から室内に電気を付けて準備をする店が何軒かあった。
本日は昼休み後の郵便受け取り時の昇り降りを中止した。その前に500mほど走ったため足の筋肉が少し張ったためだ。ところが1時半に郵便を出しに行くときに気が変はって往復を歩いた。
階段の蛍光灯が暗い階が幾つかあった。省エネのため減光し、人を感知すると全光になる。昼休み直後は人の流れが多いからすべて全光だ。1階の中華料理店の余った弁当が五つあり、出したままだ。郵便ポストから戻るときに片づけてゐる。いつもは昼休み後に1階に降りるとき丁度片付けてゐる。それより多いのは完売だ。

二月二十一日(木)
これまで、通勤時に一番多いのは中央通り地下街、二番目に青梅街道南側、ごく稀に京王アネックス。それぞれが詳細に分かれ、あちこちの通り、地下道、ビルの一階や地下一階を歩く。一時は地上のヨドバシカメラの前や京王百貨店の前を歩く方法が標準だったこともある。それとは別に朝の出勤時は新大久保駅で降りて、アジア街のあちこちの小道を歩くことが多かったたが、最近は新宿経由になった。
数日前からつひに新宿駅の東側にまで進出することになった。歩いてみるとなかなか心地がよい。こんなことになる理由は、新宿駅の構内が混むからだ。埼京線の後方の車両に乗るには、駅の左上から右下まで行かなくてはならない。
新宿駅東側と青梅街道北側を組み合はせると、青梅街道は斜めに駅に向かふから距離の節約になり、駅の東側まで越境しても時間は余分に掛からない。それにしても新宿駅の甲州街道改札、新南改札、ミライナ改札は、改札が後ろに付くが、従来の東口、西口、中央東口、中央西口、南口、東南口とどこが違ふのか。そもそも平成二十八(2016)年三月七日までは、新南改札は新南口、甲州街道改札はサザンテラス口と呼んでゐた。
しかも甲州街道改札だけではなく、南口も甲州街道に面してゐる。あとミライナとNEWoMenの関係はどうなってゐるのか。JR東日本は命名センスが悪い。これでは悪名の典型「高輪ゲートウェイ」並みだ。普通の企業なら、とっくに倒産してゐる。

二月二十二日(金)
今朝は久しぶりに新大久保駅で降りた。新大久保駅で降りるには、新宿駅の埼京線ホームから新南改札など三つの改札がある通路へ階段を上って、山手線外回りで新大久保駅まで一つ戻る。埼京線ホームからの階段が混むので最近はほとんど使はなくなったが、ここ数日駅の東側に出るため階段を上ることが多く、こつを覚えた。暫くしてから階段に行く方法と、電車の扉の近くに立てたときは、新宿駅に到着すると同時に走って階段に行く。
今朝、新大久保駅で降りたのは、ルンルアンと云ふタイ料理店を下見のためだった。ルンルアンは入口の壁に仏道の僧と信徒の絵が描かれてゐる。一回は行ってみたいと思った。インターネットで調べるとハラル(イスラム教徒向け食べ物)を扱ふ菓子のお店と同じ経営だ。イスラム教徒以外が食べてよいのか確かめるためだった。寄ってみるとタイ国旗と仏道の絵が描いてある。と云ふことで、本日の昼はここで食事をすることに決定した。(ここから先は新大久保と高田馬場のアジア街の二月二十二日に移動)
今回は「角筈、淀橋の話題」としたが、「新宿」とは本来、新宿三丁目駅の辺りから東側だ。新宿駅周辺は角筈、その隣が淀橋だった。だから「角筈、淀橋の話題」と命名したが、最後に例外が一つ現れた。ルンルアンは百人町だった。(終)

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