千二百六十一 東武動物公園訪問記(2.園内篇)
平成三十一己亥年
一月二十三日(水)
東武動物公園では三つのものを見よう。さう思って出掛けた。まづ一つは動物を観る、二つ目はかつて周囲は農村地帯だったが今はどう変化したか、三つめは民営動物園が黒字を保つためにはどう経営したらよいかだ。
動物公園の外を半周することで、周囲は農村地帯だった。これはよいことだ。
西ゲートの手前に乗馬クラブがある。入ってすぐにわんこヴィレッジ、にゃんこハウスがあり、それぞれ別料金で600円、共通で1000円。その先にプール入り口があり今は冬なので休業中、ラクダのこぶこぶフェトコーナーは小学生までで1000円、ほたリウムは400円。
それらより経営努力を感じたのは(1)動物の名前が明記してある。動物パレードのため飼育場から連れ出すため飼育係が名前を呼ぶと、ちゃんとやって来て、名前は単なる掲示ではないことが判った。(2)動物パレードを頂点に(3)飼育係の来園者への親切な姿勢。これら三つが動物園黒字化の秘訣だと思ふ。
しかし併設する遊園地側に本当の経営努力がある。次にそれを記したい。

一月二十四日(木)
遊園地には公共性が必要だ。東武動物公園を見て、そのことに気付いた。東京ディズニーランドが栄へるのは、ディズニーにはどこか教育性と芸術性がある。後楽園遊園地が栄へるのも、後楽園球場と云ふ野球場があったからだ。東京ドームと名称を変へたため、後楽園遊園地は苦戦するやうにはなった。
同じやうに、東武動物公園も動物園があることで遊園地が栄へる。東武鉄道が動物園を子会社に財産譲渡し(それまでは業務委託)、子会社が遊園地性を高めた事情はある。木製コースターと夏季のプールはその典型だ。これも公共性があればこそだ。

一月二十五日(金)
冬のイルミネーションが午後五時から、10/27~2/11までの土日祝(12/1~1/6は毎日)行はれる。イルミネーションはペンギンを除いて(ホワイトタイガーもイルミネーションとあるが暗く場所が判らなかった)遊園地部分に限られてゐた。動物園が静穏なのでほっとした。それでも観るのに時間が掛かり、園内をあとにしたのは五時四十五分だった。朝九時五十分に東ゲートへ到着してから、有料の乗り物には一回も乗らなかったのに、まったく退屈はしなかった。
それほど園内は観るところがある。動物パレードは最初から最後まで観て、折り返し点での休憩では、多数の飼育係の人たちに一人あたりでは短時間、全体ではかなり質問をした。
メモ書きでは(1)ラクダの糞、(2)耳の長いヤギ(ヒツジだったか)、(3)毛の黒いヒツジ(イギリス食用)、(4)アルパカ、(5)動物病院は無いが専任の獣医がゐる、(6)飼育係のユニホームは3種3色でパレード用、普段は作業着、(7)ラクダはモンゴル産。
東武動物公園の経営で感心したのは、すべての世代を対象にしてゐる。遊園地と動物園は子供連れ、動物園のみは小中高大生、イルミネーションは子供連れとカップル。入園券にシニアがあり六十歳以上。私もシニアで入園した。

一月二十六日(土)
東武動物公園の優れたところは、動物の個体名と出身地を書いてある。出身地が無いものもあるが、それは海外から来た個体だ。国内の動物園名が書いてあると、ほっとする。 動物園は、動物パレードに参加できるやうな、人間に慣れる動物のみを展示し、それ以外は隔離して飼育するとともに現在の映像、食事など来園者が興味を持つ映像を表示し、繁殖を主目的とすべきだ。 とは云へ民間の動物園は黒字になることが必須条件だ。その努力の結果が、ハイブリッドレジャーランドを名乗る東武動物公園だ。利益を上げながら、国内動物園の繁殖計画にも参加する。これは民間動物園の理想像だ。

一月二十七日(日)
東武動物公園の遊園地部分のお薦めは、「太陽の恵み鉄道〜パークライン〜」だ。機関車が牽引し、終点では連結を切り離して転車台で向きを変へる。転車台が二車線のところが本物の鉄道と唯一の違ひで、あとはかつての客車列車と同じだ。
機関車と客車は連結器のほかに3本の空気管を引き通す。私は、元空気溜、直通ブレーキ、非常用ブレーキとみた。ここも本物の鉄道との違ひだ。
東ゲートを入ってすぐの正面に、開園記念の石碑があり、当時の東武鉄道社長根津嘉一郎の署名がある。我が家が根津に住んでゐたときの家は借家だったが、土地は根津嘉一郎の所有だった。嘉一郎もたまたま根津の四軒長屋の土地が売りに出され、自分と同じ地名なので個人的に購入したのだらう。私と東武動物公園に、カバ園長のほかにもう一つ接点があった。(終)

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