千二百十八 KYB浦和工場跡とその周辺
平成三十戊戌
十月二十一日(日)カヤバ工業浦和工場跡
KYBと云ふ会社の免震装置、耐震装置のデータ偽造で、大変な騒ぎになった。KYBとはどこの会社だらうと調べると、カヤバ工業が会社名を変へたものだった。カヤバ工業はかつて浦和工場があった。場所を調べると旧中山道と外郭環状道路の交差点(辻1丁目)から少し南だ。
これだけなら、一件落着だった。しかしここで別のものが検索された。KYB浦和ハイムだ。場所は旧中山道と国道17号が交差する六辻交差点の南東100mだ。

十月二十一日(日)その二異臭土壌の場所を探せ
ここ10年ほど気になることがある。30年ほど前に工場の跡地を掘る工事中の横を歩行すると、土が変色し異臭がする。根拠はないがクロムだらうとそのときは考へた。その後、二十年ほど経過するとどこだったか判らない。とは云へ古い民家が建つ場所ではないから、旧中山道脇のマンションだとばかり思ってゐた。
ところがマンションだと思った建物は今回、KYB浦和ハイムだと判った。メッキ会社から土地をKYBが買収したのだらうか。昨日別のことを調べに国会図書館に行き、つひでに昭和四十六年の地図を調べると、当時から萱場工業の社宅だ。当時は団地のやうな建物が二棟あった。
地図を見渡すと、そこから少し離れた場所に王子染料製造所がある。細い路地を挟んで両側にある。どうやらここのやうだ。染料だから有害ではないのだらう。或いは土を交換したのかも知れない。王子染料製造所は平成二(1990)年保土谷化学と合併とある。これで異臭土壌の場所は一件落着した。

十月二十一日(日)その三六辻交差点のサイレン
かつて六辻交差点は、平日の昼にサイレンが聴こへた。どこかの工場で昼休みの合図だ。ここ10年ほど前述のマンションが元はメッキ工場で、そこのマンションだらうと思ってゐたが、王子染料製造所からだと六辻交差点までは聴こへない。
そこで再び地図を調べると、六辻交番の裏に相原電線工業の工場がある。今はマンションだが、なるほど昔は工場だったのかと判った。
相原電線工業を検索すると、年金の「持ち主不明の記録のある事業所一覧表」に表示されるだけだった。どうやら廃業したらしい。

十月二十一日(日)その四当時の地図
当時の地図を見ると、旧中山道や国道17号の周辺は宅地が多いものの、工場が点在する。そこから外れると、あとは田圃だ。
次に目についたことは、釣り堀が二つもある。一つは見沼代用水の脇、もう一つは17号沿ひだ。私が横浜に住んだときにも近くに釣り堀があり、20年ほど前に宅地になった。自家用車が普及せず、インターネットがない時代と、娯楽が変はったとまづ考へられる。二番目にプラザ合意以降の円高で人件費が高くなり、もはや個人事業として釣り堀はやって行けないのだらう。
駅の西側は、大通りが貫通してゐない。隣の小道ともども切通しで、両側は高台だ。記憶をたどると昭和40年代前半は、大通りの隣の小道を歩いた。両側の切通しはまもなく平地になり、唯一残った神社の横は毎年土が崩れてなだらかな傾斜になり、もう片方は平地になった。
人類は、こんなに自然を破壊してよい訳がない。新興住宅地は呪はれた土地と云へる。

十月二十一日(日)その五ペリカン石鹸
国道17号の戸田橋を越えると埼玉県に入る。あとは両側が田圃で、稀に信号機がある。だから自転車に乗ると、戸田橋から浦和市まで無停車で走ることができた。戸田市から蕨市に入るとペリカン石鹸の工場が右にあり、石鹸の臭ひがした。
私の記憶では火事があり、それが原因かは不明だが、工場は移転した。(終)

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