千二百十六 1.三色を持つ歌(明日があるさ)、2.二色を持つ歌(瑠璃色の地球)
平成三十戊戌
十月二十日(土)
数日前のことだ。朝の出勤途中に100円ローソンで昼食を買った。そのとき店内のラヂオから「明日(あした)がある」と云ふ曲が流れた。若いフォークソング歌手と思はれる歌声で、たぶんこの歌手が作曲したのだらう。歌詞は「明日がある」以外はよく聞き取れなかったが、旋律が美しい曲だった。
インターネットで調べて驚いた。坂本九の曲で昭和三十八(1963)年に発売された。これほどよい曲をなぜ今まで知らなかったのだらうか。私が七歳のときだからだらうと、そのときは思った。

十月二十一日(日)
よく考へると子供の通学した高校の合唱祭で歌った歌がこれで、東北大地震のときに作られたと説明があった。一般人が作曲した旋律として、なんの疑ひもなかった。こんなことを云ふとプロの作曲家の中村八大に失礼だが、若いときの作品なので、素人の香りがあるのだらうと思った。

十月二十一日(日)その二
YouTubeで坂本九の歌を聴いて驚いた。リズムがぜんぜん違ふ。これだとテレビで聴いても良い曲だとは思はない。尤もこのリズムだと、中村八大はプロだ。難しい言ひ方だったがこれを解説すると、中村八大はプロの作曲家で、坂本九の歌ひ方がよくない。

十月二十二日(月)
店内のラヂオで「明日がある」を聞いたのは、DJの番組だった。司会者が話の合間にリクエスト曲を流すもので、全部を流す訳ではないが採用された人は喜ぶし、聴く人も退屈しない。ラヂオ番組の典型で、私も昔はよく聞いた。小学生のころは「子供電話相談室」が始まる前、就職してからは車の車内で。

十月二十三日(火)
私のホームページでは、一つの特集を4KB以上になるやう作る。今回は3KBにしかならない。昨日よい題材を見つけた。「瑠璃色の地球」である。
会社の入るビルの一階にピアノがある。普段は午後にUSBを差し込んで自動演奏する。曲名が小さく長方形の窓に表示される。かつてはアルファベットだったが、今はカタカナが出る。
数ヶ月に一回の割合で、気になる曲のときは窓をのぞき込む。昨日は「ルリイロノチキュウ」だった。

十月二十四日(水)
「瑠璃色の地球」を聴いた途端に、これはポップスだと思った。家に帰り調べると、松田聖子の歌だ。しかも前述の合唱祭での曲でもあった。歌謡曲と音楽の歌曲には境界がない。
しかし最近は歌詞が変だ。伴奏のカシャカシャ音のリズムは昔から変だ。流行歌と音楽の歌曲に段差ができたのかも知れない。

十月二十五日(木)
「瑠璃色の地球」を更に調べると、合唱曲にも編曲されたとある。なるほどと納得した。歌に歌詞を付けず「あー、あー」で歌ったら気味が悪い。だから歌詞は必須だ。
最近は歌詞が意味不明の歌が多くなった。英語の歌詞を付けるのも意味不明の一種だが、これは止めるべきだ。英語ではない意味不明の歌詞は、進化と言ってもよい。しかし作詞者にとっては退化だ。将来、音楽の歌曲になれる歌詞をつけるべきだ。(終)

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