千二百十四 二年半ぶりの国会図書館訪問記
平成三十戊戌
十月十八日(木)
二年半ぶりに国会図書館を訪問した。前回は利用カードを忘れて一時利用で入館したから、カードの利用は五年ぶりくらいだ。それでもゲートを無事通過できた。
本の貸し出しや到着確認をするパソコンの操作法が判らず苦労した。その前にパスワードは正確に覚えているのに、何回入れても不一致になる。平成29年以前のパスワードはすべて大文字になったさうで、それも試したが駄目だった。ゲート横の受付でパスワード再発行の手続きをした。
何冊借りられるか判らず、午前11時ころから閉館の午後五時までいて、書籍を一冊、雑誌を二冊読んだだけだった。とは云へ、時間は余らなかった。
昼食は、あらかじめウィンナー入りパン、ツナコッペ、サラダ、お茶を購入しておいたので、それを一時外出で食べた。かつて、食堂に二社入り、土曜は片方のみ営業だった。後に地下鉄の永田町駅を地上に出たところのローソンかセブンイレブンで昼食を買ひ、一時退出で三宅坂交差点の小公園でよく食べた。国会図書館の入り口前のベンチでもよく食べた。
その後、一時退出はロッカールームに行くだけに制限され、そのときは食堂の持ち込みコーナーで食べた。今回は15分以内と云はれただけでロッカールームだけではないらしい。だから入り口前のベンチで食べた。確か銅像があったはずだがとみると、やはりベンチに銅像があった。

十月二十一日(日)
昨日も2回目で国会図書館に行った。昨日は食堂で食べてみた。業者名の札が2ヶ所ある。かつて2社入ったときのなごりだ。今は両方とも同じ会社名だ。土曜は半分しか営業をしない。これも昔と同じだ。570円(税込み)のA定食を食べた。
先週は、入館した直後の本を閉館まで読んだ。今回は前回より早く到着したため、午後に追加で本を申し込まうとしたら、申し込み用のPCが新館も本館も満席だった。本館で立席が空いたので、そこを使った。見渡すとPCを使はず本を読むために坐る人がかなりゐる。これは禁止すべきだ。
開館70周年の展示を新館地下1階で行ってゐた。国会図書館の名称になったのは米軍の指示によることが判った。かつての書籍カードの引き出しも展示してあり、なつかしかった。
書籍カードは、かつてはすべての本が対象だった。検索システムが導入され、それでも書籍カードは残った。おそらく外国語の書籍用だと思ふ。書籍カードの棚のあるところの長椅子で本を読むのが、私の通常の行動だった。かつて長椅子は赤い布で覆はれてゐたが、早い時期に木がむき出しになった。今でも長椅子はあり、今回も半分くらいはそこに座ったが、前はPCを置いた席が並び、少し落ち着きが失はれた。
かつて書籍の受け取りカウンターは台形の机が2つあるだけだった。その後、少しづつ増へて、今では6つくらいになった。
土曜は食堂が半分開業と云ふことは、平日より少ない前提だ。しかし私が見たところ、土曜のほうが多い。かつて土曜は閉館だった。その後、地元の図書館などが日曜に開館するやうになり、国会図書館は隔週で土曜開館になった。そして今では毎週開館する。

十一月二十五日(日)
昨日は一か月ぶりに国会図書館に行った。十一時に到着。プラユキ・ナラテボー比丘の書籍を検索すると、雑誌を含めて出てくる。これは便利だ。地図室に行き文蔵商店街を調べるため、浦和市の地図を申し込んだ。十一時半に食堂でA定食を食べた。単品で頼んだほうが安い。次回はさうしたい。
地図を見終った後に、プラユキ・ナラテボー比丘の書籍と雑誌を観た。午後二時過ぎに図書館を出た。実家の洗面所の壁へのペンキを妻が作業中だ。下駄箱を戻す作業を手伝へるやう早く出た。来るときも下駄箱を出すので遅くなった。
昔は、開館直後に着いて、閉館直前までゐた。インターネットが流行り出した頃に、一度だけ家でインターネットをやろうと早く退館したことがあった。今から二十年前の話だ。あと帰宅の時に、東横線の横浜桜木町間が廃止になり、それまでの高架が切り離されて残るので横浜まで乗り越して戻ったことがあった。今から十五年前の話だ。本館二階にあった郵便貯金のATMが廃止された。今から10年前のことだ。
四十年前は入口で入館カードを渡され、中に砂鉄みたいなものが入ってゐた。今から十五年ほど前に、各自のカードができた。六年ほど前に、館内が電子化された。四十年前は紙製の蔵書カードを1枚1枚検索したが、二十年前は蔵書名が電子化され、しかし外国書籍なのか紙製の蔵書カード棚が書籍返却の左にずっと奥まで並んだ。私はいつも蔵書カード棚の横の長方形の腰掛けで本を読んだ。書き写すときは、蔵書カード棚の上で行った。長方形の腰掛けは赤色の布で、中は大理石なのだらうかと想像した。後に布が無くなった。中は木製だった。
私が使った腰掛けは、今でも存在する。ただし館内閲覧用縦長ディスプレイの列が直前に迫り、落ち着いて読む雰囲気ではなくなった。私の足が国会図書館から遠のいたのは、これが原因であろう。あと、混むやうになったことも理由だ。特に午後は検索用のパソコンが空いてゐない。(終)

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