千百九十四 父の入院した病院、母の通院する病院
平成三十戊戌
九月十五日(土)
ニュースで、癌の3年生存率が71%ださうだ。父が二十年前に亡くなった大腸がんも、一期から三期までは80%以上、四期は30%だ。父の場合、血便など症状があるのに、なかなか診察を受けなかった。診察を受けたときは三期か四期だった。
それ以外に、抗がん剤の進歩が大きい。二十年前の抗がん剤は、副作用が大きく抗がん効果は小さかった。しかし今は、効果が大きく副作用が小さくなった。AERAdotに載った週刊朝日の記事によると
生存率が向上している大きな背景に薬物療法の進歩があります。
「ステージ4で遠隔転移がある場合は、薬物療法が中心となりますが、治療によって転移病変のがんが大きく縮小したり、消失したりした場合、手術によってがんを取りきれる可能性が高まります。こうした手術をコンバージョン手術といいます。手術ができる状態になればステージは4からIIIに下がることが多く、これをダウンステージといいます」(林医師)
(中略)大腸がんのステージ4はコンバージョン手術によって多くの患者が助かるようになったといいます。

二十年の時間差が惜しまれる。しかし73歳だから、当時の平均寿命77歳より4年少ないだけだ。まあ天寿を全うしたと云へる。

九月十五日(土)その二
父が手術を受けたのは民営の病院で、外科、胃腸科、脳外科、内科が専門だった。A理事長は外科医で、胃腸が専門。それに対し外部から招聘したT院長は脳外科が専門で、名医の評判が高かった。
理事長と院長の対談を雑誌で読んだことがある。理事長が、名医に来てほしいとT医師に白羽の矢を立てた話と、T院長の話す、理事でもあるので必要な機器の購入を主張することもあると云ふ内容を、今でも覚えてゐる。
理事長は昔ながらの医師のタイプで、温かみのある方だった。手術は予定時間をかなり超え、手術室前で待機してゐると、空調機だらうか圧縮機だらうか一定の高さと大きさの音がいつまでも響いた。
やがて手術は終り、しばらくして理事長が切り取った大腸を示しながら説明してくれた。盲腸と結腸の最初の部分で、今後肝臓に転移するが血管を閉塞させる方法があるとのことだった。手術に時間が掛かったのは、肝臓への移転をできるだけ防ぐためなのだらう。
月日が過ぎて肝臓に転移の後は、紹介で大きな国立病院に入院した。高齢なので手術ではなく、不十分ではあるがアルコールによるがん細胞消失を勧められ、それを選択した。そして退院した。
再び月日が過ぎて、今度は腎臓の下に再発した。医師はがん細胞が落ちたと表現した。今回は父が書籍をいろいろ調べて、抗がん剤は副作用が多いのに効かないからとホスピスを選択した。がん治療をせず穏やかに死を迎へる。二つのホスピスの中から県立がんセンターを選んだ。ここは施設が新しいのと、看護師が熱心で親切だった。
私の姪が看護師になり、国立病院に勤務する。それはこのときの看護師さんたちの活躍を目にしたからだと思ふ。

九月十五日(土)その三
二十年後に、母が糖尿病で同じ民営病院に通院することになった。我が家が実家に引っ越したのも、それがきっかけだ。T院長は既に独立した。A理事長は引退し、外来表によると週一回外科と胃腸科を担当する。理事長の御子息が新理事長兼院長として脳神経外科を担当する。なるほどT院長を招聘したのは、さう云ふ伏線があった。
独立したT院長のクリニックは脳神経外科が専門だが、埼玉県の医療情報システムには循環器科も書かれてゐる。昔の記憶をたどると、父が入院したときは病院の診察科目が外科、胃腸科、脳神経外科、循環器科、内科だったやうに思ふ。(終)

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