千百八十七(モリカケ疑獄百五十二) 安倍が自衛隊幹部の前で偏向発言
平成三十戊戌
九月三日(月)
安倍が自衛隊幹部の前で無教養な発言をした。毎日新聞のWebによると
「自衛隊員の歩みを振り返ると、心ない批判にさらされ、悔しい思いをしたこともあったかもしれない。自衛隊の最高指揮官、同じ時代を生きた政治家として、じくじたる思いだ」と述べた。
まづ自衛隊は、米ソ対立による米軍の方針変更で設立された。だから旧革新勢力が自衛隊に反対したことは、当時としては当然のことだった。
旧革新勢力による批判は、米ソ対立の結果であり自衛隊員自身への批判ではないのに、安倍は「心ない批判」にしてしまった。安倍発言こそ自衛隊員への心ない批判であり、幹部を含むすべての自衛隊員に悔しい思ひをさせるものである。
九月四日(火)
無能な男の特徴に、肩書や権限をひけらかすことが挙げられる。首相が自衛隊の最高指揮者であることは誰もが知ってゐる。わざわざ「自衛隊の最高指揮官」と名乗る必要はない。だいたい安倍は自衛隊員ではない。だから安倍が「じくじたる思い」になるのは変だ。
旧革新勢力が自衛隊に反対したのは米ソ冷戦時代のことで、安倍が自称「自衛隊の最高指揮官」に就任したのは数年前だから時間差もある。映画「トラトラトラ」で、渥美清が演じる炊事兵とその後輩が、日付変更線の向かう側で撃った大砲は、日付けが違ふからこちら側には当らない、と雑談を言ひながら調理をする場面がある。米ソ冷戦時代の主張を今頃持ち出すのは、これと同じで時間差だ。
「同じ時代を生きた政治家」と云ふが、政治家とは国民のため権力や非合理に立ち向かふ人のことだ。国王など権力者と、議員が分離してゐた時代の名残りだが、安倍みたいにお友だち濡れ手に粟商売と、本人と周囲が嘘ばかり付く人間は政治家ではない。百歩譲っても政治屋だ。
九月五日(水)
安倍の発言は二つ問題点がある。一つ目は冷戦時代の話を持ち出して、国内の対立を煽った。ドラえもんを例にとると、のび太たちが大人になった後に、スネ夫がジャイアンにこっそり、小学生時代にのび太がジェイアンの悪口を云ってゐたと云ひつけて、対立を煽るやうなものだ。安倍のやったことはスネ夫と同じで、精神が矮小だ。
二番目は公正中立であるべき自衛隊幹部の前で、偏向発言をした。毎日新聞Webページによると
明言はしなかったが、自衛隊の存在を明記する憲法改正への意欲を重ねて示した。
東京新聞のTokyo Webによると
自衛隊を明記する九条改憲に重ねて意欲を示した。
公正中立であるべき自衛隊組織において、最高指揮者は同じく公正中立でなくてはいけない。安倍にはそれができないから、速やかに首相を辞任すべきだ。
九月六日(木)
かつての社会党は、社会主義、安保破棄、自衛隊違憲を柱とした。社会主義と安保破棄は、公明党も主張した時代があったから、もし安倍がこれらを批判するなら、公明党との連立を解消すべきだ。
自衛隊違憲について社会党はその末期には、違憲だが法的に存在とした。その社会党と自民党は連立を組み、社会党は違憲を取り下げるとともに社会党委員長が首相に就任した。つまり自民党は、前日まで違憲を唱へた政党と連立した歴史を忘れてはいけない。
安倍は成人後のスネ夫みたいだ。意地の悪さは小学生のときと同じに昔のことを持ち出すなら、まづ自民党を解党してから発言すべきだ。(終)
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