千百五十二 成増から浦和へ、浦和から赤塚へ
平成三十戊戌
六月十六日(土)
先日実家に行くとき、往路は地下鉄成増から歩き、復路は地下鉄赤塚まで歩いた。JRより60円安いだけだから、平日ならJRに載る。地下鉄は土日券があり更に57円安い。
それ以外にも理由がある。土日券は便利だが、将来は廃止される虞がある。それは自動精算機で定期券といっしょに使へない。将来廃止するために、わざと不便にした可能性がある。或いは廃止を見越して機能を付加しなかった可能性もある。だからできるだけ土日券を使ふことにしてゐる。
次に、知らない道を歩くのは楽しい。前回成増から歩いたときは道を間違へた。今回は地図を見ながら歩いたのでほとんど間違へなかった。上赤塚交番南を左折せず狭い道を直進する。二又を直進し階段を降りるはずが赤塚城跡の梅園に沿って別の階段を降りた。広大な公園には驚いた。ここで本来の道と合流した。美術館入口を左折のはずが直進し、新大宮バイパスの地下道を超え、暫く歩いたところで間違ひに気付き、この辺りで雨も降り出した。予想では朝から雨だったが、これまでもった。新大宮バイパスで笹目橋に出た。
橋を渡ったあとは笹目川に沿ふ近道を前回から採用した。この道で北戸田に出た。

六月二十一日(木)
帰路は地下鉄赤塚に出た。これはすごい道だ。まづ往路で国道17号新大宮バイパスから分離する、地図で調べた形状とよく似た道を見つけた。帰路は笹目川の根木橋から新大宮バイパスに出たため、バイパスの平行する小道と民家など新発見が沢山あった。そのため笹目橋の逆側の歩道を歩いたところ、板橋トラックターミナルを発見した。反対側に潜る地下道も発見した。形状のよく似た道の先の、往路で左折すべきを間違へた小さな四つ辻も発見した。東京大仏に前に来たが、そのすぐ傍も判ったが、今回は目的がゐなので通過した。不動の滝が反対側にあるのも発見した。馬頭観世音菩薩も寄らなかったが発見した。下赤塚の商店街も初めてだった。
永六輔と黒柳徹子はラヂオやテレビに便乗したので好きではない。しかし永六輔の「知らない町を歩いてみたい」だけは優秀作だ。そんなことを考へるうちに地下鉄赤塚に到着した。
追記すると黒柳徹子は別に嫌ひではなかった。今から四十五年くらい前の話だ。それなのにいつまでも出演に執着する。その分、若い人の出演機会が減るから老害だ。最近の桂歌丸と同じで嫌ひになった。

六月二十二日(金)
以上とは別に、母の病院の付き添ひで先月と今月、平日に浦和に行った。このときはJRを使った。平日はJR、休日は地下鉄の土日券。バスカードが廃止ののちは、これが定着した。
病院の待ち時間は、まづ小平選手の所属する相沢病院の話をした。二番目に浅間温泉国際スケートセンターの廃止を話した。三番目に小柳と云ふ旅館が政府登録国際観光旅館ではなくなった話が新聞に載った話をした。ここは上流階級の人たちがよく泊まったさうだ。四番目に昭和天皇が泊まったのはどこか聞いたところ、東石川旅館と云ふ浅間温泉の終点より下のほう(中浅間バス停近く)ださうだ。それに対し小柳は芸能人がよく泊まるらしい。
浅間温泉はお湯の汲み上げ量が減ったさうだ。昭和三十九年にウェストンホテルが出来た時、祖母が、各部屋にまで温泉を引いたさうだ、沸かし湯だらうと話すのを思ひ出した。私が小学生のときだ。そのウェストンホテルも十二年前に宿泊客の減少で廃業した。
浅間温泉は終点の近くのことで、中浅間にも旅館があることは知らなかった。病院の待ち時間は話をしてゐるとあっと云ふ間に過ぎる。昔のことを記録する意味もある。(完)

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