千百三十七 5.ベトナムフェスティバル
平成三十戊戌
五月十九日(土)
本日は夕方に家を出て、代々木公園のベトナムフェスティバルに行った。16時45分からのベトナム文化・スポーツ・観光省「ベトナムトラディショナルミュージックパペットショー」を観るためだ。11時15分からも同じものをやるが、17時25分から「ホイアンランタン祭り紹介」、17時45分から「Love VIETNAM SHOW」も観よう。さう思った。
原宿から代々木公園までを歩く人はベトナム人の若い仲間、若いカップルが多い。ベトナム語で書かれた飲み物や物品を販売する人たちも3グループくらいあった。会場を一とほり見て、まづ気付いたことは出店がタイフェスティバルよりはは少ない。タイは渋谷川公園入口まで続くが、今回はNHKの手前までだ。とは云へ広場部分の賑はひはタイフェスティバルと変はらなかった。

15時45分からの「小栗久美子トルントリオ、KUISトルンアンサンブル」も観ることができた。トルンにはアルト、テノールなど三つあり、これまでに改良されてきた。それとは別に職人が作ってくれたハンドトルンを2台使用し、これらは古い形態のトルンだ。
ハンドトルンは下からミソラドレミで、その上に更に三つあるから演奏では使用しなかったからソラドに違ひない。ベトナムの伝統音楽は日本と同じヨナ抜き音階で演奏された。日本の曲として一曲、「故郷」を演奏したがファとシがあるので、今のトルンはこれらがある。そして音程は西洋音楽と変はらなかった。トルントリオはコントラバスも用ゐるが和音は目立たず、伝統音楽の範疇に入る。
ベトナムトラディショナルミュージックパペットショーは、最初思ったほどではなかった。花笠の踊りは本来は美しいのだらうが、エレキベースか何かの和音が大きく、トラディショナルを感じなかった。数人で演じる孔雀、人形のショーはトラディショナル性が高くよかった。操作出演者が日本の歌舞伎と同じ黒子の面と衣装だったのもよかった。テレビのアナウンサーはアジアでは黒子に徹するべきで、最近のNHKはアナウンサーが目だったり解説委員(と言っても内容は劣悪だが)にまで進出するので、観ながらアジアの黒子に徹するべきだと思った。
「Love VIETNAM SHOW」は、日本人でベトナムでのコンサートや学校建設募金活動とパンフレットに載る女性が出演し、最初ベトナム語と日本語を話した。観客席の反応が最初は良かったが途中から今一つになったので、パンフレットとは裏腹にベトナム語は出演のための即席かもしれないし、後で考へるとベトナム語は最初だけだった。決してこの女性が悪いのではなく、そのあと出演するベトナム人たちの人気があり過ぎだ。Van Mai Huongは女性歌手、Chi Danは男性歌手、Boa Thyはたぶん日本の着物で出演した女性歌手。最後の一人は時間の都合で19時で帰宅した。
Chi Danに若い男性も熱中するところが日本と異なった。と云ふか日本も昭和60(1985)年辺りまでは、男も女も熱中した。ベトナムは昔の日本を示すやうだった。曲自体は昭和45(1970)年辺りまでの日本だらう。日本の演歌みたいに民俗性はないものの、曲に突拍子なところがなく、ポップではあっても落ち着いて聴くことができる。それより周囲の熱狂ぶりが見てゐて楽しかった。
缶ビールは時間をおいて三本飲んだ。333(5.5%)は広く売られ味も上等だった。BIA HA NOI(4.6%)は安っぽい味だった。アルコールの濃度差かな。DAI VIET(5.8%)は黒ビール。黒ビールはむそれほど美味しくは感じなかった。味覚が変はったのかも知れない。
広場にビニールシートを敷いて家族或いは仲間たちと飲食したり寝そべる人がたくさんゐた。これは昭和50(1975)年あたりまでの日本だ。ベトナム人は背の低い人が多い。このことはタイ出張中にタイ人についても感じた。寒くなるほど体が大きくないと熱の発散が多い。だからベトナム南部やタイに小柄な人が多いのは普通だが、私が20歳くらいのときは日本人も背が低かった。混んだ電車の中央に乗っても外の景色がよく見えた。今は背の高い人が多くなった。舞台を観るときよく見えるのでこれも昭和50(1975)年あたりを感じた。
舞台の右側に穴場がある。斜め横だから舞台後方は見えないのだが、歌手を近くで見られる。そのとき私が前に立つと後ろの人が見えにくいかな、と途中で立席を替へたり、心にゆとりを持てた。これが経産省出身者で首相秘書官になったやうな連中が自分たちの給料は安定してゐることを棚に上げて国民に競争を強いるため、世の中がギスギスする日本人社会との違ひだ。(完)

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