千百三十三 3.第一音楽隊と中央音楽隊、4.陸上自衛隊は総隊でよいのか
平成三十戊戌
四月三十日(月)第三部記念演奏
第三部記念演奏の曲は
陸軍分列行進曲
戦時歌謡(国境の町、燃ゆる大空、加藤隼戦闘隊など)
日本こころのうたメドレー(故郷、浜辺の歌、赤とんぼ、春の小川、花)
ジャパニーズ・グラフィティ「美空ひばりメドレー」
スーダラ伝説(植木等の歌を数曲)
東京オリンピックマーチ
アンコールは
軍艦行進曲
だった。今回聴いた第一音楽隊は前にも聴いた。そのときはさう思ったが家に帰りインターネットで調べると、前回聴いたのは中央音楽隊だった。前回の曲は覚へてゐないが、欧米に近い技量にはなっても超えることはできないと、そのとき感じた。だとすればアメリカの行進曲が曲目の中心だったのだらう。
中央音楽隊は外国との交流が中心になる。だから曲は欧米のものだ。第一音楽隊は第一師団の士気高揚、関東地方の国民への広報が中心だから親しみのある曲が中心になる。だから戦時歌謡は昭和50年生まれ二等陸曹の男性隊員が歌ったし、スーダラ節は「第一音楽隊の植木等が歌ひます」の紹介で三児のパパの昭和三十六年生まれ陸曹長がユーモアなしぐさを交へて歌った。司会は昭和六十一年生まれの三等陸曹の女性隊員だった。指揮者、隊員を含めて全員が親しみのある出演で、自衛隊の広報活動として十二分な活躍であった。
昨日の時点で、第一音楽隊は陸上自衛隊で一番目だと思ったから、そこがこれだけユーモアを持つなら普通科など陸上自衛隊すべてが同じで、それなら頼もしいと判断した。しかし中央音楽隊、方面音楽隊が上にあるとなると、これだけで陸上自衛隊すべてを判断することはできない。
四月三十日(月)その二中央音楽隊
中央音楽隊の演奏を聴いたのは、八年前の土曜日に防衛省見学会が開催されたことがあった。普段は平日だが自衛隊創設六十周年だと思ふ。私も申し込んだ。省内を見学のあと、中央音楽隊の演奏を聴いた。極東国際軍事裁判の法廷となった大講堂も見学した。そのときふと、石原莞爾もここで学んだのかと思った。午前と午後の二回開催され、私は午前だったのでそのまま国会図書館に行った。そこで初めて石原莞爾の著書を読み、それまで抱いてゐた悪い感情を一掃させた。
さて、欧米にある面では負けて別の面では勝てて全体では欧米とAAA(アジアアフリカ中南米)が不公平にならないには、どうしたらよいだらうか。
昭和の日の集ひでは、第一部冒頭の君が代伴奏から第二部終了まで一時間十五分あった。このあと三十分の休憩を挟んで第三部記念演奏が始まるが、三十分の休憩は長すぎる。敵の攻撃をうけたとき、準備のため30分待ってくださいとは云へない。
管楽器は一時間十五分空けると内部が冷える。温めないと音程が合はない。試案が一つある。短期的には一曲目に和音のない曲を持ってくる。そのあと音合はせをして二曲目に入る。これを日本の伝統とする。長期的にはAAA各国が協同し、自国伝統のすぐ演奏できる楽器を用ゐる。
五月一日(火)陸上自衛隊は総隊でよいのか
一カ月前から陸上自衛隊について疑問がある。陸上総隊の新設である。これは戦前の連合艦隊に類似する。日露戦争のときまで連合艦隊は臨時編成だった。大正十二年に常設となり先の戦争で完敗した。その理由は軍令部と連合艦隊司令部の二重構造となり、それでゐて連合艦隊の拙劣な作戦(真珠湾攻撃、ミッドウェイ海戦)を適正指導できなかった。真珠湾攻撃後の機動部隊中心への艦隊再編成も二重構造だからできなかった。
陸上総隊は同じことにならないか。非常時に総隊を編成し、普段は総隊を作る演習をする。例へば関東で大地震が発生した想定で、関東甲信越東北東海に総隊を作る演習をする。九州に国籍不明船が上陸した想定で総隊を作る演習をする。最適の組織は常に変更が必要だ。(完)
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