千百三十 過去ニヒリズムの誕生(「西郷どん」が悪い原因)
平成三十戊戌
四月二十六日(木)
「西郷どん」は出来が悪い。このまま放置することは世の中のためにならない。だからどこが悪いかを指摘することにした。まづは将軍継嗣問題で、南紀派と一橋派が対立した。これだけでも若い将軍の下で実権を握り続けようとする譜代小大名、旗本と、大物将軍の下で力を振るはうとする大大名、親藩。そんな中で譜代としては大きな井伊が大老となったときの南紀派との微妙な違ひ。これだけでも大河ドラマ数週間分だ。
それなのに「西郷どん」は、一橋慶喜を女郎通ひのバカ殿にしてしまった。これでは何のために安政の大獄から桜田門外の変で、大量の犠牲者が出たのか判らない。
「西郷どん」は作り話を特長とするから、将軍継嗣問題に軽く触れただけだと云ふなら、それは構はない。しかし一橋慶喜を女郎通ひにしたり、井伊直弼の将軍が病床での小声を近くにゐた自分だけが聞いて回りに大声で吹聴する。それらには面白さがまったくない。
慶喜の優秀さを広めるため、水戸斉昭が嘘を吹聴して回ったと慶喜が不快さうに云ふ場面も、それだけに留まるから白けた雰囲気になる。「西郷どん」の制作チームは、つまらないことをたくさん並べれば面白くなると勘違ひしてゐる。

四月二十七日(金)
西郷が鹿児島まで走り続ける。まづ江戸から鹿児島まで走り続けられるはずがない。休んだり走ったりするエピソードを人間模様にすることができる。或いは、本来は何日掛かるところをこれだけ短縮したと云ふのなら、見てゐても興味が湧かう。走ったり斜面を滑り落ちても、それが鹿児島まで続く訳ではないから、誰もが白けた雰囲気で観る。時間と、テレビ電波を発信する電力費と、家でテレビを点ける電気代の無駄だ。
あと、西郷の嘆き過ぎ、大久保の怒鳴り過ぎは演技過剰、感情過剰で観る者を不愉快にする。だからここでスヰッチを切ったが、このあと大久保の発案で西郷が斉彬に京都出兵を進言したさうだ。そんなことを西郷が殿様に云へるはずがない。大河ドラマは、特定の一人だけが異常に沈着だったり、異常に優秀だったりする。二十四年の「花の乱」でそのことを感じた。その欠点がまだ治らない。

四月二十八日(土)
最近、過去ニヒリズムと云ふ語を思ひついた。過去が現在に繋がる。そのことを理解しないのが過去ニヒリズムだ。「西郷どん」の悪い本当の理由は、過去ニヒリズムだ。
一橋慶喜を女郎通ひに仕立て、水戸斉昭を嘘つきに仕立てた。一橋派は意味もなく騒ぐだけの集団になってしまふ。だからと云って南紀派に味方するでもなく、井伊直弼を陰謀好きに仕立てた。つまり過去の登場人物、過去の出来事はすべて無意味だとする。

四月二十九日(日)
過去ニヒリズムが悪い理由は、過去を悪いとすることで、現在を美化し批判対象から外してしまふ。これは恐ろしいことだ。「西郷どん」が過去ニヒリズムになった理由は、原作者や脚本家が歴史に暗いことだ。舞台設定や登場人物に慣れるまで、暫くは視聴者をごまかすことはできる。しかし四カ月が限度だ。(完)

メニューへ戻る 前へ 次へ