千百十九 悪いのは相撲協会で、国民が見離すのが一番良い
平成三十戊戌
四月八日(日)
大相撲の地方巡業で、市長が倒れた。看護師が土俵に上がり応急手当をしてゐる最中に、降りるやう指示があり物議を醸した。今回の場合、一番よいのは国民が相撲を見捨てることだ。ああすべきだったこうすべきだったと発言すると、相撲の人気が高まってしまふ。
私は今回の騒ぎの前に既に相撲を見離した。まづ私は本来貴乃花親方をそれほど好きではなかった。それは師匠であり父親でもある初代貴乃花の葬儀の時に、お兄さんではなく自分を喪主にしろと主張し、その理由は相撲協会の幹部が多数来るので、協会を離職したお兄さんでは失礼に当たるといふものだった。
しかしこれは筋違ひな主張だ。お兄さんは元横綱だ。何の失礼にも当たらない。その後、貴乃花親方が相撲改革を掲げ、理事選に立候補や一門立ち上げを果たしたのでこれは立派だと支持するやうになった。日馬富士が貴ノ岩に暴行したときは貴乃花親方を支持した。被害側の師弟が批判されるなんて、こんなバカな話はない。
その後の理事選で貴乃花親方は二票だった。これで相撲協会は滅びるしかないとの結論に至った。親方衆は自己保身の気持ちしかないことがはっきりした。だから貴公俊が付け人に暴行したときは何の感想も持たなかった。醜い肥満者のショーだかスポーツだかに国民はいちいち意見を述べないほうがよい。

今回の騒ぎは例を挙げれば、女子プロレスのリンクで市長が倒れた。男の医師がリンクに駆け上がったところ、降りろと指示する人がゐた。もちろん女子プロレスにそんなことを云ふ人はゐないが、それと同じ話にいちいち声を上げる必要はない。

四月八日(日)その二
相撲に限らず、炭坑やトンネルの建設現場に女性が入ることを嫌ふ人は昔は多かった。今は判らない。今から四十年くらい前だらうか新聞のコラムに、山の神は女で女性が入ると嫉妬するなんて、随分了見の狭い神様がゐたものだ、と云ふ記事を読んだことがある。このコラムは間違ってゐる。
炭坑や地下は一歩間違へれば死に至る。そんなところに女性を入れないのはまづは、労はる気持ちがあるだらうし、入れると気が散るのは男側の事情だ。昔から生活の知恵で入れないことになった。仲間が事故で死ぬと験を担ぐから、ますます発展して神様の話になった。現場の嫌がることを安全な場所にゐる人が強制してはいけない。
相撲も同じだ。一歩間違へれば選手生命を絶たれる。だから塩を捲いたり、女性を土俵に上げないことになった。それを批判してはいけないが、緊急時に医療関係者が上がることは認めるべきだ。
その逆でもよい。力士と行事以外は土俵に上げない。審判も土俵に上がらず脇で協議すべきだ。怪我をした場合は担架ですぐ土俵下に運ぶ。

四月八日(日)その三
以上は舞鶴市の話で、宝塚市では女性市長が土俵上に上がれず下で挨拶したことに、また賛否両論が起きた。まづ伝統は守るべきだが、それが不平等になってはいけない。今後は男も女も、力士と行司以外は審判も役員も上がらない。練習のときは部屋の土俵に上がってよいが公衆の面前では上がらない。これがよい。
私はこれと同種の解決法を一回用ゐたことがある。それは男性には「氏」、女性には「女史」の敬称を統一するときだった。女史は古い表現なので、まづ女性には「さん」を用ゐたが、これだと「氏」より少し軽い印象を受ける。だから次に男も「さん」にしてしまった。私が「アメリカ大統領のトランプさん」などと書くのはこの理由に由る。決して軽んじた訳ではない。私は昔から敬称に役職名を使ふことはほとんど無い。(完)

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