千百十二 二つの優良記事(1.日本とベトナムが兄弟のようによく似ている理由、2.就活生へ、世の中には5パターンの仕事しかない。早めに全部経験しておこう)
平成三十戊戌
三月二十一日(水)日本とベトナムが兄弟のようによく似ている理由
二つの優良な記事を見つけたので紹介したい。一つ目は昨年十二月JBpressに掲載された「日本とベトナムが兄弟のようによく似ている理由」と云ふ記事で、川島博之さんと云ふ方が執筆された。記事は次の文で始まる。
ベトナムは東南アジアの国。「ベトナム戦争」「ホーチミン」「社会主義」、普通の日本人が思いつくのはそれぐらい。それほど関係のない国だと思っている。しかし、実はベトナムは日本とは兄弟と言ってもよいくらいよく似ている国である。

その一番目は
現在はフランス人宣教師が考案したローマ字による表記が用いられているが、漢字は第2次世界大戦前までごく普通に使われていた。チューノムと呼ばれる漢字を変形した文字も作られている。日本が“かな”を作ったのと同じ感覚だ。

二番目は
日本もベトナムも宗教や道徳の根底に大乗仏教と儒教がある。それを“ゆるく”受容した点において両国は似ている。
ベトナムは日本や朝鮮半島と同様に大乗仏教を中国から輸入した。タイやミャンマーも仏教国であるが、彼らは上座部仏教徒であり大乗仏教とは異なる。

私がこの記事を優れてゐると感じたのは、これに続く次の一文だ。
その違いを簡単に説明することは難しいが、通俗的な解説をすると、上座部仏教徒は仏教に対する思い入れが強い。

これはよい解説法だ。思ひ入れの違ひに過ぎず、上座部仏教と大乗仏教のどちらも正しい。
ベトナムは日本や朝鮮半島と同様に、中国から儒教を輸入した。その結果として、年長者を敬う感覚が存在する。
だが、儒教を輸入しても、それは朝鮮半島の人々とは少々異なる。朝鮮半島の人々の行動様式は強く儒教的である。儒教では善悪を峻別する。“悪は悪”“善は善”である。その感覚の延長で敗者を徹底的に痛めつける。(中略)中国で政争に敗れた薄熙来や周永康に対する仕打ちによく似ており、峻烈である。それが儒教なのだろう。
中国文明の中心は黄河流域。歴代の首都は常に黄河流域にあった。そこは雨が少なく、小麦地域である。朝鮮半島も雨が少なく寒冷でコメ作に向かない。儒教はそんな地域に向いている。

最後の部分は私には思ひつかなかった。キリスト教やイスラム教が、雨の少ない小麦地域で発生したことは知ってゐたが、黄河流域も少ないことは知らなかった。
ベトナムには(中略)政治局常務委員が19人もいる。そして、共産党書記、国家主席、首相は役割を分担しており、序列一位と言っても共産党書記の力は限られる。

ここは日本も同じだ(派閥の領袖や事務総長、最高顧問。党の幹事長と三役。閣僚。)
政敵を完全に追い詰めないのがベトナム流である。この辺り、タクシン元首相やインラック前首相が亡命を強いられたタイや、ロヒンギャと仏教徒の間で深刻な対立が続くミャンマーとは異なる。

ここは意見が異なる。タイは雨が多いし米作地帯だ。ミャンマーは私は行ったことがないから何とも云へない。その一方でキリスト教の最も栄へた欧州は、小麦地域ではあるが決して気候は悪くない。別の要因が幾つかあると思ふ。あと日本でも幕末の長州のやうに血で血を洗ふ権力争ひになることがある。国難の度合と経済状態を考へる必要があると思ふ。記事は最後に
交通手段の発達により両国は近い国になった。飛行機に乗ればハノイまで約5時間である。ベトナムは中国の次に近いアジアだ。もっと仲よくしてもよいと思う。今、ハノイのホテルでこの原稿を書いている。

これは全面的に賛成だ。

三月二十一日(水)その二五種の仕事
日刊工業新聞に就活生へ、世の中には5パターンの仕事しかない。早めに全部経験しておこうと云ふ題で記事が載った。日南市マーケティング専門官の田鹿倫基さんの執筆で、これも達見なので紹介したい。自分に向いている仕事、やっていて楽しい仕事を見つけると云ふ副題が付き
社会には数え切れないくらい多くの職業があります。それらは地域や時代に合わせて新しく生まれたり、消滅したり、統合されたり、分割されたりしているわけですが、それらはすべて5つのパターンに分類されます。

で始まる。まづ
「0ー1」
(前略)世の中に新しい価値や概念を創造し提供するものです。起業家や企業の新規事業担当者、商品開発担当者などがこれに当てはまります。

次に
「1ー9」
(前略)順調に拡大するベンチャー企業や新しい商品の販路を開拓していく営業のような仕事です。
すでに存在する商品の完成度をいかに高めるか、既存サービスの売上をどうやって増やしていくか、といことが業務の中心となります。このタイプの仕事で必要なのが現状を理想のカタチに改善する力、つまりPDCAサイクルを素早く、精度高く回すことです。

「9-10」
9まで出来たものを10に仕上げる仕事が次にきます。学校の試験もそうですが、90点から100点の10点を上げるのは非常に骨が折れます。(中略)これは既に商品が市場シェアをある程度とれている大企業に多い仕事です。

ここまでは成長させる仕事だ。次に
数字をさげない
(前略)数字を増やす仕事は顧客のニーズと向き合いながら付加価値を付ける仕事ですが、「減らないように抗う」のは現状をいかにして維持するか、という守りの意味合いが強くなります。

「マイナスー0」
そして最後は、マイナスを0にする仕事です。最低限のラインを下回っている人に対して支援する仕事がこれに当たります。(中略)難民支援を行うNGOなどがここに当てはまります。

(中略)の部分には「病人を治療する医師や」が入るが省いた。その理由は後で述べたい。以上をまとめて田鹿さんは
マイナスを0にする仕事→社会問題解決型
0を1にする仕事→起業型
1を9にする仕事→成長企業型
9を10にする仕事→大企業型
数を下げないようにする仕事→既得権益死守型

とまとめられてゐる。このまとめ方には全面賛成だ。まとめる前に前提として
就職や転職活動ではつい業界や会社名で選びがちですが、9から10の完成形を目指す大企業の中にも、0から1を作る新規事業立ち上げを行う部署はあるわけです。

と書かれてゐるが、この前提にも賛成だ。私と田鹿さんで意見が異なるのは、マイナスを0にする仕事はNPOや宗教団体など非エリートコースでなければいけないと私は考へるが、田鹿さんは医師をここに入れた。医師にも社会への使命感の強い人と、企業性の強い人、研究心の強い人などがゐるからこの五つすべてに分かれるのではないだらうか。

三月二十一日(水)その三私自身を当てはめると
私自身は、マイナスを0にする仕事が一番合ふ。だから当ホームページは宗教だ、自然保護だ、非西洋思想だ、昭和五十五年辺りまでの革新勢力だと無意識のうちに主張してきた。
マイナスを0にする仕事はコンピュータ業界には、修理部門、相談業務、問題解決業務があり、修理はディスクの交換くらいしかやらなかったが、メーカーの修理窓口に電話したときには、私のほうが診断能力、解決能力があると思った。
二番目に合ふ仕事は0を1にする仕事だ。これはコンピュータ業界には本来多い筈だが、最初から参画させてくれたことは四十年間に1回しかなく、しかし最初の年から売り上げだ粗利だと数値があったため一年で終了した。
1を9にする仕事は、私には合はない。これは体育会系とも云ふべきものでこれはほとんどなかった。9を10にする仕事も私には合はない。しかしこれが多かった。
既得権益死守型の仕事はこの世に存在するだらうか。既得権益死守型の企業や業界はある。しかし仕事としては、9を10にする仕事にほとんどが含まれ、一部が残り三つに入ると思ふ。(完)

メニューへ戻る 前へ (その二)へ