千百四 「西郷どん」の感想と、感想への感想
平成三十戊戌
三月二日(金)
「西郷どん」は見てゐて退屈しないし、これまでのところ良い番組だ。昨年までの大河ドラマはそのほとんどが、途中で飽きて見なくなったから、今年も同じではと論評を避けてきた。
過去の番組は兆候があった。「真田幸村」の場合は、付近全体を上杉(或いは反対側)の傘下に入れようと交渉するのは、幸村が同格の豪族たちの上に立たうとしてしてゐるのではないかと皆が疑ふ場面だ。
黒田官兵衛の場合は、敵側の重役を騙して城内に入れ、突然幕が下りると後方に銃を構へた軍が現れる。その安直な設定に驚いた。
新選組は終盤で観なくなったが、これは別の事情だ。山南敬助が切腹の後は、近藤勇の独裁体制だし、あとは落ち目になる一方だから見るに忍びなかった。

三月三日(土)
「西郷どん」には、名場面が毎回ある。藩主になる前の島津斉彬が江戸に戻るときに、赤山靱負の好意で吉之助が面会する手筈だった。ところが吉之助が現れない。赤山が斉彬に桜島を見せて時間稼ぎをする場面はその一つだ。
劇中の伴奏もよい。「あまちゃん」と「西郷どん」の共通点は劇伴がよいことだ。ところが「西郷どん」はOP(テーマ曲)が悪い。一番悪いのは歌唱であれでは気味が悪い。
聴いたあとで、あれは奄美の島唄を真似したものではないかと気づいた。調べるとそのとほりで、歌手は島唄とポップスを兼ねるさうだ。島唄と西洋音楽を混ぜるから気味が悪いものになる。
途中から三味線が入り、気味の悪さが軽減される。西洋楽器による本来のテーマ曲に戻り、かすかに歌も聴こえる。ここには既に気味の悪さはない。島唄、西洋音楽どちらかだと美しいが、半分づつ混ぜると気味が悪くなる。
OPの旋律は美しい。ところが旋律と旋律の間と、伴奏(例へば16分音符か何かでドレミファソファミレのやうに無駄で耳障りなだけ)が平凡だ。だからOP全体の印象を下げる。しかしOPの旋律を劇伴として使ひ、そして美しい。「あまちゃん」は劇伴で視聴率を上げた。「西郷どん」は劇伴でOPの評価を上げた。

三月三日(土)その二
インターネットで「西郷どん」への批判を見つけた。お由羅騒動を処分結果しか扱はず、なぜ赤山や大久保が処分されたか判らないし、その時間を吉之助が農民の借金問題を扱ふことで無駄にし、そもそも借金を一時的に延期しても解決策にならず、そんなことも判らない吉之助に描いたと云ふ内容だった。
仰ることは完全にそのとほりで、お由羅騒動を扱ってくれればどんなによかったかと私も思ふ。しかしこの方の感想を読むまで、番組に批判はなかった。それは番組のテンポがよい。大河ドラマはとかく展開が遅く、だらだらとつまらない話が続く。それが無いのはよいことだ。

三月三日(土)その三
もう一つ、別の方の批判を見つけた。最初の妻、須賀が父親と離婚を告げに西郷家を訪れた帰りに、須賀が父親に心境を語るがあれは誰もが判ってゐることだから蛇足で興ざめだと云ふ。
なるほど云はれてみればそのとほりだ。これも私は気付かなかった。その理由は、須賀が父親に心境を語ったあと、泣き出す。ここは名場面だ。名場面とは例へば大楠公の別れの場面で、ドラマにはこのやうな場面が必要だ。
名場面があったからその前の余分な部分に気付かなかった。ここは父親に心境を話さず、泣き出すだけにすればよかった。(完)

追記三月五日(月)
昨日の放送でOP曲の「伴奏(例へば16分音符か何かでドレミファソファミレのやうに無駄で耳障りなだけ)」が目立たなかった。或いはインターネットに投稿するとき高音が強調されたのかも知れない。

追記三月六日(火)
その後、インターネットで聴いても、高音は目立たなかった。たまに聴くとよくて、連続して何回も聴くと駄目らしい。

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