千九十二 太田記念美術館訪問記
平成三十戊戌
二月十三日(火)
太田記念美術館で「幕末・明治 ―激動する浮世絵」と云ふ企画展を実施中だ。私も昨日観覧に行った。太田記念美術館を知ったのは、今から五年くらい前だらうか、中国人らしい数人の若い女性がこの建物に入るので、なるほどここは美術館なのかと気づいた。
私は渋谷中央図書館に行くときに、美術館の横をよく歩く。日本画や東洋画には興味があるが、浮世絵はそれほどでもない。だから五年間訪問の機会がなかった。
一昨日は午前中、用事があり渋谷に行った。帰りに太田記念美術館に寄ると、学芸員の説明は翌日だと判った。そのため一日お預けとなった。

二月十五日(木)
順路に沿ひ一通り見終はった。一巡目は強い眼鏡で観たが、弱い眼鏡のほうが細部がよく見えることに気付いたので二巡目を見始めた。途中で館内放送が流れたのですぐ地下一階に向かった。私が座ったあとすぐ満席になった。大変な人気だ。
学芸員の説明は適切で、展示作品の見どころを説明してくれた。会期途中で一部作品を入れ替へたので、前期の作品も少し出てきて、これも面白かった。
学芸員の説明を適切とした理由は、作品を中心に解説をしてくれた。中には自分を中心に解説する人がゐる。
表面的な解釈ではなかったこともよかった。(表面的な解釈の例として、10年前に横浜線開通100周年を記念した地元のセミナーで、菊名駅の東急線とJR線の連絡通路に改札がなかったためキセル区間と呼ばれ、その対策として自動改札を設けたと云ふ話があった。これは同じ話がWikipediaに載ってゐたからこれを安直に引用したのだらう。しかしこの話は間違ってゐる。Suicaなどが普及し、経由を把握する必要があるため自動改札を設けた。解説がこのやうに表面的ではなかったのでよかった。)

二月十六日(金)
浮世絵は、印刷機が無かった時代にカラーで複写をする高度な技術だ。だから明治以降は急速に衰へた。幕末から西南の役までの浮世絵は、激変する風潮を今に伝へる。安価であるが故に、保存があまりされなかった。それを保存した太田記念美術館は貴重だ。
幕末の浮世絵は、長州を悪魔、幕府、会津、薩摩を正義とする。明治維新前後に逆転する。江戸時代は、時事を他の事象に重ねて仮名で描く。これも興味深く鑑賞ができた。

二月十七日(土)
展示室に入ると、まづ畳敷きの後方に肉筆の浮世絵がある。肉筆の浮世絵は初耳だった。私は東洋画と浮世絵の題材に違ひはないと思ふから、題材で浮世絵なのではなく、浮世絵作家の描いたものだから肉筆でも浮世絵なのだと解釈した。
二十年ほど前に、日本語を話さない或るアメリカ人がUkiyoeの直訳をfloating world's pictureと聞いて、ヒューと喜んだことがあった。私がfloating worldとはuncertain life's world(不確実な人生の世の中)のことだと補足した。不確実な世の中で成功かどうか不確実に生きることこそ、浮世絵に描かれた幸せな人生ではないだらうか。(完)

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