千八十二(その九十一) 加計学園問題のキーマン、下村博文を追及せよ
平成三十戊戌
二月四日(日)
二ヶ月前、文春オンラインに加計学園問題のキーマン、下村博文を追及せよ と題した良質な記事が載ったので、紹介したい。記事は
加計学園問題は、首相が友人を特別扱いしているのではないかという追及をかわしつづけ、進展のないまま今に至っている。疑惑を、安倍晋三首相と加計孝太郎氏の関係から徹底取材し、核心に迫る『悪だくみ 「加計学園」の悲願を叶えた総理の欺瞞』の著者・森功氏が、もう1人の重要人物を明らかにする。

記者は取材に下村博文のところへ行った。ところが
「まさか、部屋にいらっしゃるとは、思いませんでしたよ」
衆議院第2議員会館622号室のインターフォンを押すと、部屋の中から秘書らしき女性がドアを開けたので、思わずそう言った。6月26日午後のことだ。
「外から電話しても留守だし、1階の受付から連絡しても誰も出ない。どうして電話にも出なかったのですか」(中略)「あなたは秘書でしょ、電話にも出ないのはつまり、居留守を使っていたわけですか」
すると、彼女は申し訳なさそうな表情を浮かべ、ようやく耳元で囁いた。
「私は留守番なので……。電話に出るなと言われていて」
そのあと人差し指を唇の前に立てて、差し出した私の名刺の裏に、なにやら文字を書き始めた。まるで筆談だ。
〈実はいっさい応答するなと指示されていて〉
部屋の主が下村博文である。私はこの日の午後3時、議員会館で本人にインタビューをする約束をしていた。ところが正午過ぎになって、とつぜん文藝春秋編集部に取材をキャンセルする旨のファックスが届いた。それ以来、ぱったり連絡がとれなくなった。

これだけでも下村は怪しい。もはや申し開きを聴く必要はないくらいだ。もちろん聴いたほうが矛盾点を追求できるからよいのだが・・・。記事は続いて
言うまでもなく、取材の最大のテーマは、加計学園による文部科学大臣当時の下村への裏政治献金疑惑だ。入手した下村事務所の内部資料で発見した加計学園側からの献金は、まず大臣就任直前の2012年9月に後援組織「博友会」の政治資金パーティのチケット20万円分を購入。20万円なら政治資金収支報告書に記載義務がないが、大臣就任後にはこれが5倍になっている。13年、14年にはそれぞれ100万円ずつ合計200万円分のパーティ券の購入が記載されていた。


二月五日(月)
記事は続く。
先の特別国会では、会計検査院による森友学園の国有地8億円値引きへのダメ出しを受け、改めて野党が安倍昭恵の関与を追及した。彼女は(中略)下村夫人の今日子ともすこぶる仲がいい。今日子は加計学園グループの教育審議委員として、昭恵とともに学園の事業に肩入れし、学校行事にも参加して、その模様を自らのフェイスブックにアップしてきた。
当の今日子は、このまま加計との親密な交友の証拠を残してはまずいと考えたのかもしれない。夫に裏献金疑惑が浮上すると、フェイスブックから加計学園関連の投稿を削除した。が、その甲斐もなく、ここへ来てネット上に加計との関係写真が乱れ飛んでいる。

安倍は国会で、獣医学部新設を知ったのは昨年一月だと答弁した。奥さん連中が加計学園と関はってゐながら昨年一月はあり得ない。国会で嘘をついたのか、奥さんと離婚寸前なのか。答弁の嘘を認めるか、奥さんと離婚するか。どちらかをやってもらはないことには、国民の怒りは収まらない。 森友・加計問題で説明責任を果たす――。  今夏の支持率急降下を受け、安倍内閣はそう強調してきた。が、もはや誰もそれを期待していない。しょせんその場しのぎの山師の玄関のようなものだ。つまるところ安倍政権は、説明すればするほど、わが身が危うくなるので、嵐が過ぎ去るのを待つしかない。森友・加計の両学校法人に対する特別扱い疑惑が明るみに出てからこの間、首相やその側近、関係官庁の問題への向き合い方を振り返ると、そう感じる。

二月六日(火)
首相周辺は新たな事実が浮かび上がるたび、いったんはそれを否定してきた。が、そのほとんどが嘘で、やがて事実がはっきりして修正を余儀なくされた。会計検査院の審査や音声データにより誤魔化しきれなくなった森友学園の国有地値切り交渉然り、官房長官が怪文書とまで言った文科省の文書も然り。まるで“もみ消し工作”に失敗した挙句、認めざるを得なくなっているかのようだ。(以下略)
「この先、省庁の文書管理を徹底する」「今後、国有地払い下げのチェック体制を整える」といった塩梅で、実際に何が起きたのか、その事実関係の検証すらしようとしない。
もっとも本来、この手の疑惑の解明は、さほど難しくはない。国会で野党が言うように、加計孝太郎や安倍昭恵をはじめ、関係省庁の当事者がそれぞれ事実を明らかにすればいい。そこで忘れてならないのが、下村博文だ。

そして
安倍の盟友、加計にとって獣医学部新設への道が開けた最大の転機は2015年だ。それまでの構造改革特区制度から第2次安倍政権で始めた国家戦略特区制度を使って、押し切ろうとした。その知恵を誰が授けたのか。この年の4月2日、今治市とともに加計学園が首相官邸に出向き、その2か月後に特区申請をやり直している。むろんこの日、首相官邸には下村もいた。

森功さんの著書『悪だくみ 「加計学園」の悲願を叶えた総理の欺瞞』をぜひ読んでみたい。(完)

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