千七十五 その時代を生きた人の解決を尊重すべきだ(アジアの友好のために)
平成三十戊戌
一月四日(木)
一昨日のことだ。浦和と和光市の間は徒歩で何回か往復したことがあり、私の記憶では外環道路から左に入ったところに駅がある。今回も左を探したが駅がない。高架を走る電車は右から左に向かって加速する。駅は右だ。外環道路を超えて更に右側に行くと駅があった。
人間の記憶は時間の経過とともに間違ひが多くなる。数年前のことでもかうだ。私が韓国の慰安婦騒ぎに冷淡なのはそれが理由だ。状況をよく知る当時の日本と韓国の人たちが解決した。それを七十年も経過してから再び騒ぎ立ててはいけない。記憶に間違ひが多くなるし、その時代を知らない人たちには解決できないからだ。

一月五日(金)
慰安婦問題を叫ぶことで日韓の友好が深まるなら、両国でどんどん問題にしたほうがよい。しかし慰安婦騒ぎの行き着く先は見え透いてゐる。西洋が正しいと云ふ結論になってしまふ。あの時代は非西洋地域のほとんどが植民地だったことが無視されてしまふ。
米ソの冷戦は、米の勝利に終はった。つまり冷戦の更に前に遡ると旧連合国側であり、植民地を持つ側だ。持つ側が正しく、持たざる側が間違ってゐる。そんな結論にしてはいけない。
ここで、持つ側と持たざる側のほかに、どちらでもない側があり、それが世界のほとんどの地域だ。そもそも植民地を持たないと国内経済が混乱するのは、西洋の産業革命が原因だ。だったら尚のこと、西洋が正しいで済ませる結論ではいけない。

一月六日(土)
その時代の人しか解決できない理由を例示したい。まづ私は慰安婦なるものに絶対反対だ。しかし戦争中はさういふ人たちが連合国側にもゐた。
第二次世界大戦の映画で、ヨーロッパ戦線の連合国軍最高司令官アイゼンハワーがノルマンジー上陸を前に部隊を視察する。一兵士に声を掛ける。その兵士が「昨夜は慰安婦と過ごしました」と答へる。アイゼンハワーは兵士と握手して別れる。
この兵士とアイゼンハワーについて、善し悪しは当時の人たちにしか判らない。今の世を生きる我々が「売春の部下を叱責しないアイゼンハワーは司令官失格だ」と発言することはできない。

一月七日(日)
韓国の国内で調査しただとか大統領が謝罪しただとかのニュースが、いちいち日本国内で報道される。これらの報道は日本の対韓感情を悪くすることが目的としか考へられない。
日本は、韓国が外交ルートで正式に言ってきたら対応すればよいのであって、いちいち韓国のニュースに反応する必要はない。(完)

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