千七十四 和光市、成増から浦和まで歩いた
平成三十戊戌
一月四日(木)
前に、JR不乗車運動の一環として、浦和の実家に行くときに、都バスの板橋本町から中山道を歩くことを続けた。国鉄争議団がめでたく和解したのでJRに乗るやうになったが、和解の条件にJR各社への雇用があったはずだ。しかし実行された形跡がない。
と云ふことで、JR不乗車運動を再開した。かつてバス共通カードがあった。これは便利なので応援する目的もあり、バスをよく利用した。例へば武蔵境に行くのにJRではなく、小田急バスの新宿武蔵境線を利用した。
バス共通カードが廃止の後は、バスは原則として乗らないことにした。私と同じ考への人は多いと思ふ。このころから新宿武蔵境線の大幅減便(一日二往復に)をはじめ、都バスの新宿駒沢陸橋線の廃止(代田橋までの短縮)、王子亀有線の大幅減便(一日二往復)など、特徴のある線が少しづつ無くなった。

だから今回はバスを利用せず、地下鉄の和光市または成増から歩くことにした。三十日は一家四人で帰省したが、途中寄るところがあったため、JR武蔵野線経由となった。これはやむを得ない。
翌日はヘビが糞(フン)をする予定日なので、私が掃除のため自宅まで往復した。ヘビは糞をしたあと水を飲む。だから水槽を早くきれいにしてあげたいし、ケージの中に糞があるとヘビだって嫌だらう。
自宅に着くと糞がない。さては盗まれたか、と心配する必要はない。まだ糞をしてゐないだけだ。暫くしてヘビを見ると尻尾の先端2cmくらいを上に上げてゐる。糞をするときは尻尾を上げる。ケージを見渡すと既に糞があった。
この日は往路が和光市経由、帰路が成増経由。土日券を購入してあるから、定期券と組み合はせると片道171円。糞を掃除するのに手頃な金額だった。
橋を渡ると荒川右岸流域下水道の放流口が新河岸川にあることを初めて見た。下水処理場は西側に沈殿池、東側が工事中。処理人口増加に対処のためかそれとも高度処理のためか。
今までに和光市と浦和は何回か往復したことがある(ここから先は千七十五として独立させた)。

一月五日(金)
帰路は、初めて成増から浦和まで歩いてみた。成増から新大宮バイパスに出るまでが難しい。途中で白子川に出た。東京と埼玉の都県境は荒川とこの川だ。そのまま下流に向かひ荒川との合流を右折すれば新大宮バイパスに出る。途中で大きな道と交差するので左折し500mくらい歩いて逆方向なことに気付いた。引き返してそのまま進み、何とか新大宮バイパスにたどり着いた。
東京都水道局の三園浄水場の横を歩けてよかった。三園浄水場の名は昔から知ってゐた。ここから荒川を少し上流の秋ヶ瀬取水堰と多摩川水系からの水を混合して、水道水に浄化する。
数年前まで板橋本町から歩いたときは戸田橋を渡るのが通常経路だが、新大宮バイパス経由も一回あった。そのときは荒川を渡ったあと新大宮バイパスを通った。今回は荒川を渡ったらすぐに右折し、笹目川、別名中央排水路に沿って浦和まで歩いた。

一月七日(日)
二日の夕方は、和光市駅から浦和まで歩いた。夕方なので暗がりの中を成増から新大宮バイパスまで複雑な道を歩くと道に迷ふ。だから和光市駅から歩いた。橋の上から夜景がきれいだらう。さう云ふ期待もあった。
荒川と彩湖に掛かる巨大な橋を渡り始めたときはまだ空に光が残ってゐた。途中で真っ暗になった。歩いたのは北側で浦和のビル街が見えた。車道を超えた南側を見るとスカイツリーと思はれる回転する光が見えた。スカイツリーかどうかは昼間に見ないと判らない。
夜景はきれいだが子どもや女性だけで歩くときは気をつけたほうがよい。車道は車が絶えなく走る。しかし歩道で事件が起きても車は止められない。目撃者が多いから事件は起きないはずだが、橋の外は大きな調整池が広がる。夜は不気味だ。

一月八日(月)
三日は浦和から和光市駅まで歩いた。余ったみりんと日本酒は気が抜けるから飲んだため、和光市まで6Kmを普段なら1時間なのに1時間半乃至2時間掛かった。
今回は橋の南側歩道を歩いた。スカイツリーがはっきりと見えた。風が強く帽子が飛ばされないやう気を付けて歩いたのだが、車道で6台の追突事故があり、処理中だった。それを見ながら歩くとき一瞬注意が散漫になった。帽子が飛ばされ荒川と彩湖の間の草むらに落ちた。一番取りに行き難い位置だ。だから帽子は諦めた。
家に着き、私と下の子が同時に浦和を出たことを云ふと、妻はずいぶん時間差があると云ふ。帽子は年齢に合はないので飛ばされてよかったと云ふ。あの帽子は昼休みや休日に出かけるときの日よけだ。だから先週木曜の昼休みは外に出ないで1階から25階まで歩いた。5分40秒91だった。(完)

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