千六十二(その四) 九ヶ月ぶりの渋谷中央図書館、5.土曜の夜景巡り
平成二十九丁酉年
十二月二十四日(土)渋谷中央図書館から足が遠のいた理由
渋谷中央図書館を一年ぶりに訪問した。読みたい本が横浜市立図書館に無いからだ。かつては国会図書館に行くことが毎月の行事だった。最初は月二回土曜に開館するのでそれに合はせた。後に毎週開館になり、訪問回数が増えた。
会社から支給される通勤定期代は最安経路だ。別の経路で差額を自己負担するのは構はない。但し電車が遅れても正規の経路ではないから電車事故扱ひにならないが。私もときどき経路を変へた。日比谷線経由にしたときは土日に都立中央図書館にも行った。丁度そのころ家族で海外旅行をするのでHIS六本木支店で申し込んだ。目黒線経由のときは目黒不動に行ったこともある。
副都心線ができて、国会図書館を経由しない経路が多くなった。そして国会図書館から足が遠のいた。代はりに渋谷中央図書館を利用することが多くなった。昨年11月に自宅が移転した。最後の定期券は正式経路にしないと清算レシートの金額が合はなくなるので、六ヶ月間渋谷中央図書館を使はなかった。
今年1月には会社も移転し、渋谷経由の定期券を購入した。早速渋谷図書館に行ったが、一回だけに終った。その理由は竹下通りが混むためだ。
昔は太田記念美術館の横から竹下通りの黒人の売り子が出没する丁字路を左折し、竹下通りの次の四つ辻を左折する経路を選んだ。ところが竹下通りが混むので、明治通りから東郷神社の先を左折するやう変更した。ところが明治通りの歩道が、やはり竹下通りを出入りする人たちで混む。うっとおしいので渋谷中央図書館から足が遠のいた。

十二月二十四日(土)その二九ヶ月ぶりの渋谷中央図書館
九ヶ月ぶりに渋谷中央図書館へ行ってみて驚いた。まづ太田記念美術館経由はおそらく二年ぶりだが、途中にあったドワンゴのスタジオが別の名称になった。
ここはニコニコ動画のドワンゴとは別の会社で、しかしなぜ同じ名称なのか不明だったが、理由の判らないうちに別の名称になった。偶然数日前にドワンゴの会長が辞任し開発に専念するニュースが流れた。
竹下通りとの丁字路の手前では、道端に座り込んでみのを食べる人が激増した。竹下通りが異常に混むやうになった。黒人の売り子はゐたが、前の人たちとは違ふみたいだ。あまりの混み方に路傍に立つだけだった。
東郷神社への丁字路の飲食販売店が異常に混むやうになり、整列の柵までできた。

渋谷中央図書館の予約貸し出しが自動になった。今までは係の人に云ふと持ってきてくれたのだが、自分で機械を操作すると棚の番号が表示される。棚の図書を受け取って別の機会で操作すると貸し出し手続きが完了する。
あと、四階の柱の前の座席が無くなった。あのクッションシートは気に入っていたのだが。三階には柱の前に従来と同じくシートがある。

十二月二十四日(土)その三「新宿テラスシティ イルミネーション」
渋谷中央図書館では、借りた本とは別の書籍を読み外が暗くなるまで時間を潰した。織田信長は天才ではない、と云ふ内容で前にも一度読んだ記憶がある。しかし内容はまったく覚えてゐなかった。
私の意見は、織田信長が百戦百勝の武将と云ふのは間違ひで、その理由は天才にありがちな、自分に関心のないことはずさんだったのだらう。だから敗北は何回もあった。しかし信長の優れるのは敗北した後の対策だ。一回敗北をすると対策を立てて二回目は勝利する。この本は信長の勝利をすべて偶然として片づける。それには反対だ。
外が暗くなりかけた後に、新宿三丁目に行った。「新宿テラスシティ イルミネーション」のうち、バスタの横から先はまだ見てゐないことに気付いた。明治神宮前駅のホームは異常に混んでゐた。だから前方に移動した。
新宿三丁目駅で、前方は乗り換へだけで出入口が無いことに気付いた。丸ノ内線で新宿まで行き、結果として「新宿テラスシティ イルミネーション」を順番に全部見ることができた。
ハルク前の紫はきれいだ。小田急百貨店前の紫もきれいだ。小田急エースは小型のクリスマスツリーが昨日の一つのほかに、西側に更に二つあることを発見した。モザイク通りも、バスタの横も、その先もすべて紫で統一されてゐた。
南端にアベックがパネルにそれぞれ手を当てると温度が表示されるものがあり、二十人くらいのアベックが並んでゐた。クリスマスの夜景を楽しむのはよい。しかしアベックが大手を振って街中を歩くだけのクリスマスはよくない。
ここで引き返し、バスタ裏の電飾はテラスシティとは別で、白色がきれいだった。その先の高島屋は火の鳥の電飾が目を引いた。(完)

前、行動心象日記(十五の三)へ 次、行動心象日記(十五の五)へ

メニューへ戻る (その三)へ (その五)へ