千二十八(その二) 1.昼休みの散歩新宿国際ビル、2.川浦みさき画伯の個展
平成二十九丁酉年
十月一日(日)
高層ビルの一階から二十五階まで歩いて登ったりするのは、夏の間、街路が暑いのでその代替だった。気候のよい季節になったので、昼休みの散歩を復活した。そして先日、新宿国際ビルに行ってみた。本館と新館があることを知った。本館はヒルトンホテルと一体になり、しかし入口はホテルとは別だ。新館は入口が本館と一体だが、内部は別らしい。このことに気付いたのは入口に入居企業団体と階数の標識がある。前回あった団体が今回はないのでなぜだらうと見ると少し間隔を空けて左右に二つある。なるほどエレベータの乗り場が別らしい。

十月四日(水)
かつて東京都水道局は新宿国際ビルの中にあった。後に都庁が目の前に出来て、水道局も都庁内に移転した。そして記念館は移転した。移転から二十六年を経過し、先日ビルに行くと二つの展示室の跡は民間会社や医院が入居したが、廊下は昔のままだった。ビルの外観が茶色から変はった。私の勤務先で十年前に労働争議になり、私の所属した労組の事務所が新宿中央公園の裏にあった。西新宿駅からヒルトンホテルまで地下通路を歩き、ヒルトンホテルの手前か地下商店街の先で地上に出る。だからあのビルはヒルトンホテルだとばかり思ってゐた。新宿国際ビルだとは気が付かなかった。

十月六日(金)
インターネットで調べると、新宿国際ビルを経営するのは東京都市開発株式会社で東京都が大株主だ。南新宿、池袋にもビルを持つ。新宿国際ビルは昭和五十九(1984)年に竣工し、私が水道記念館の資料室を何回も訪問したのは昭和六十二年頃だから、出来てすぐのころだった。当時は茶色のビルだが今はクリーム色だ。ヒルトンの手前や地下商店街ヒルトピアの先で地上に出ても判らなかった理由はこれ訳だ。
地下商店街は十年程前に組合事務所への行き来に利用したが、じゅうたんの敷いてる高級な建物で、当然ヒルトンホテルの経営だと思ってゐた。しかしインターネットで調べると、東京都市開発の子会社の経営で、ヒルトンホテルではなかった。当時と比べると自動ドアになった。
先日朝の出勤に地下商店街を歩いてみた。喫茶店は既に開店してゐた。商店街の先で地上に上がると、此の先の道路は欠陥がある。途中に信号が無い。だから昼の散歩でもこの道路を歩くなど特別の目的がないときは、地上出口にある交差点を渡る。昨日は昼休みに商店街を一周した。

十月七日(土)
木曜に商店街は出入り口が四か所あることが判ったので、金曜はオークタワー方面出入り口から入って医科大学病院方面出入り口から出た。商店街のアートスクェアで、「川浦みさき個展~シルクロードを描く~」を開催してゐたのでこれを観た。
水墨画が美しい。西洋画と異なり水墨画は親しみが持てる。間仕切りを挟んで隣はカラーだが、これも親しみが持てる。限りなく思想が水墨画に近い。西洋画と云ふよりは日本画だ。展示一覧表を見て、なるほどと判った。カラーの作品は水彩画なのだ。油絵のやうなどぎつさがない。なるほど水彩画は洋画ではあっても日本画に近い。我々が日本画に親しみを持てるのは水彩画の影響かも知れない。しかし川浦画伯の水彩画は日本画の思想で描かれてゐる。その理由を探らうと思った。
川浦画伯は1985年横浜国大大学院美術研究科修士修了。その前に81年から82年まで文部省国費留学生として北京国立中央美術学院で美術史専攻。85年から87年までは中国政府招待留学生として同学院で山水画専攻。なるほど水彩画を日本画と見間違たのは、中国で山水画を学んだためだった。
会場の受付の老婆にお話を伺ふと、川浦画伯は最初は西洋画だったが体を悪くし、医師から油絵に含まれる成分を禁止された。そして中国の水墨画に出会ひ水墨画家になった。個展は9日まで午後6時まで、10日は午後3時まで。入場無料なので多くの人に訪れてほしい。(完)

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