千二十二 私は世界自然保護基金の会員だったことがある(「子は親の背を見て育つ」の二つの解釈)
平成二十九丁酉年
九月二日(土)
二十四年前に世界自然保護基金(WWFジャパン)の会員になった。当時はまだ独身だったので独身貴族でお金に余裕があった。あのころは公益法人に五万円以上だったか七万円以上だったか寄付をすると、税金の所得額から控除された。そしてどちらかの会員になった。
今、世界自然保護基金のホームページを見ると、会費は年五千円から10万円とある。当時は六種類くらいの会員に分かれ、配布されるものが違った。私は銀色のパンダの形をした徽章を貰ったので、背広に付けて毎日通勤した。会社によっては社章があるが、私の勤務する会社は社章が無かったので代はりにその徽章を用ゐた。

私は野生生物の保護が大切なことを家族に話したことは無いが、上の子が野生動物か産業動物の獣医を目指すのを見て、子は親の背を見て育つのだとつくづく思ふ。

九月六日(水)
昔も今も、会員証を示すと入場料が割引になる施設がある。世田谷区だったか目黒区だったか、女流作家が自宅を記念館にした施設が割引だった。詩人だったか小説家だったかあやふやだが、入場すると本人が館内を案内してくれた。会員だったのは一年間だが、この記念館に行ったことが唯一の思ひ出となった。
お手伝ひの年増の女性が、本人が席を離れたとき小声で私に「記念館なんてよせばいいのに」と云ふので、事情は察した。しかしこの記念館は成功だ。自宅の書斎を記念館に改造して、本人は執筆だけではなく来館した人を案内する。そのことが執筆活動を促進するし、ファンが増える。
今回世界自然保護基金のホームページを見ると、この施設は既に無かった。本人が健康のときは開館できても、代が替はると維持が難しい。サトウハチロー記念館は奥さんの逝去で北上市に移転したし、数日前には小樽の石原裕次郎記念館が閉館した。

九月八日(金)
「親の背を見て育つ」は二通りの解釈ができる。子どもが問題なく育つ場合は親は何もしなくてよい。子供に問題があるときは指導しなくてはいけない。後者の場合に親が何もせずあとで「親の背を見て育つ」と発言したとすると、それは言ひ訳であり、責任転嫁だ。
しかし親に指導できるだらうか。かつては地域、親戚、青年会、同業組合、講中などで年長者が若者に経験を伝授した。今は世の中の変化が激しいから年長者の経験が役立たない。「親の背を見て育つ」は後から結果として判ることだ。

九月十日(日)
私が世界自然保護基金の会員だったのは一年間だけだった。税金控除を目的に高額会員になったのはそのためだが、低額会員を続ける方法もあった。定期的に送られる機関紙の質問コーナーに、会費のうちの保護活動費用と事務局費の比率についての回答があった。一つは日本の比率は世界とほぼ同じだといふもので、これは問題ない。二番目に会員を勧誘したり機関紙を送るのに事務局費が必要ではないでしょうか、といふやうな表現で、内容はともかくその表現の拙劣さが気になった。世界自然保護基金と云ふ競争と淘汰のない分野だと、この程度の表現がまかり通ってしまふのかと、一年限りで会員を辞めた。
二十四年ぶりに世界自然保護基金について調べると、ランク別の会員を止め、配布物の差別もやめ、徽章については背広に付けるやうな立派なものではなく、安全ピンで付ける安価なものに変はった。会員獲得のための努力が感じられる。
秋篠宮様が名誉総裁に就任された。何より今日まで組織が続いたことは、事務局が立派になった何よりの証拠だ。地球温暖化防止も第一に掲げてある。多くの人が一年でもよいので会員になってほしいと思ふ。(完)

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