壱千一(その十九) 自民党細田派は泥舟だ
平成二十九丁酉年
七月十二日(水)
細田派会長の細田博之は駄論ばかり云ふ。豊田真由子絶叫暴行事件のときに、高速道路逆走が原因だと発言した。しかし既に秘書など百人が辞めた。高速道路逆走が原因ではないことくらい、普通の人間だったら判る。
その細田がまた迷言を吐いた。「THIS is 敗因」といふ言葉が流行したことの見解を訊かれ「基本は小池ブームだ」と答へた。今や内閣支持率は30%台に堕ちた。東京だけの現象ではないことくらい、普通の人間だったら判る。
細田派はかつての福田派だ。しかし三角大福中と呼ばれた時代の福田派ではない。そこでなぜこんな泥舟になってしまったかを調べることにした。細田派所属の議員は早く脱出の準備を進めたほうがいい。沖に出て泥が溶けたら大変なことになる。

七月十二日(水)その二
お友達濡れ手に粟内閣の敵は野党だけではない。自民党の他派閥や全官僚が敵だ。AERAネットに載った週刊朝日7月21日号によると、額賀派では
津島雄二元厚相は「安倍さんの経済政策では、日本の財政再建ができるわけがない」と反発、幹事長経験者からは「安倍3選は絶対に阻止する。調子に乗りすぎだ!」と過激な発言が飛び出した。(中略)
同派会長を務めた綿貫民輔氏は本誌にこうぶちまけた。
「加計問題で疑惑を告発した文部科学省の前川喜平・前事務次官は霞が関の役人全員の意見を代弁している。特区制度創設などの諮問会議議長に首相が就き、『首相が言っているから』と文句を言わせないやり方は明らかにおかしい。竹中平蔵・元経済財政担当相が安倍首相のブレーンとして裏にいるのが元凶だ」


七月十三日(木)
かつての福田派は、大平を急死させた功績(?)があり、国民からはかなり期待されてゐた。急死を功績と呼ぶのは不適切との意見もあらうが、これが国民感情だった。当時自民党所属の国会議員だった立川談志がテレビかラジオに出演し「大平を診察した医者が福田派で、---いや、この話はここまでにしておかう」と言って爆笑を誘ったこともあった。
福田派はその後、非主流派の道をずっと歩んだが、小泉のときに急変した。YKKと呼ばれた中堅三人組のうち、加藤の起こした乱が失敗した。最近になって、あの失敗はYKK関係を信頼して打ち明けたクーデター計画を小泉が通報したことが原因だったことが明らかになった。
小泉は、郵便局民営化だの、自民党をぶっ壊すだのと、国民受けすることを言っては政権を維持した。しかしあの発言は1フレーズだけで中身がないことと、直接には国民のためを装ひながら、間接には国民の生活を破壊することが明らかになった。
小泉が出たおかげで旧福田派(この当時は森派)は急膨張し、主流派に転じた。このとき転じたのは所属議員数だけではない。理想も転じてしまった。安倍による森友学園しっぽ切りは、このときが遠因と云へる。

七月十四日(金)
森友学園と私では、思想がかなり異なる。それにも関はらず森友学園に同情するのは、安倍の尻尾切りが理由だ。秋葉原での演説では元理事長の籠池さんが現れ、人垣ができて大変な混雑だったさうだ。多くの国民は籠池さんを憎んではゐない。冷酷な政治屋集団の犠牲者に、同情の目を向ける。
それにしても安倍のやったことは「花より団子」ならぬ「理想より利権」だ。森友学園は切り捨てる。加計学園は切り捨てない。派閥内のお友達を客員教授にしてもらったり、加計学園事務長がパーティー券代を持参する。これでは安倍側も見返りを与へない訳には行かない。しかし見返りの原資は国民の税金だ。

七月十五日(土)
谷垣さんが幹事長のときは、安倍政権がうまく回った。谷垣さんは、ハト派だし人柄がいいし野心がない。その谷垣さんが自転車事故で長期療養することになった。とたんに安倍は谷垣派を冷遇した。
当ホームページでは石原莞爾を何回か特集したことがある。加藤紘一さんのお父さんは石原莞爾の従弟。加藤の乱が小泉純一郎の密告で失敗したとき、谷垣さんが「加藤先生は大将なんだから」と涙ながらに止めた光景は有名になった。後に小泉は「YKKは友情と打算の二重構造」とうそぶいた。
小泉が首相になったとき安倍は一議員に過ぎなかったが、小泉によって引き上げられた。加藤、山崎を切り捨てた小泉、谷垣派と森友学園を切り捨てた安倍。明治維新後に切り捨てられた奇兵隊を思ひ出す。或いは前原一誠を切り捨て、萩の城下町に住む人たちを冷遇し、自分たちだけ高官になった連中を連想する。

七月十五日(土)
組織は三代目で駄目になることが多い。三代目は世襲だけではない。どんな団体にも当てはまる。細田派はその典型だ。福田派のときはよかった。安倍派のときも無難だった。安倍が亡くなり、その後は後継争ひと内紛が続発するやうになった。この時代全体をまづ三代目とすることができる。
小泉の迷言ではないが三代目は二重構造だった。次の首相候補、つまり小泉を以って三代目とすることもできる。小泉はまづ庶民の通信金融機関である郵便局を解体した。日本参入を狙ふアメリカ金融業の圧力と云ふ説は当時有力だった。小泉は自民党もぶっ壊した。しかしそればかりか旧福田派の理想をぶっ壊した。長い物には巻かれろとばかり自分の当選と党内の出世を目指すだけの連中が大挙して入り込んだ。
旧福田派のすべきは一旦派閥を解散し、福田赳夫の理想を受け継ぐ人たちと、お友達濡れ手に粟利権がよい人たちに分かれることだ。自民党の細田派以外の人たちは、細田派をかつての福田派だと思ってはいけない。(完)

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