壱千一(その十七) 「THIS is A 戦犯」
平成二十九丁酉年
七月五日(水)
自民党内に「THIS is 敗因」と云ふ言葉があるらしい。東洋経済オンラインによると
秘書に信じられないような罵詈雑言を浴びせ、暴行もしたという「魔の2回生」の豊田真由子衆院議員、加計学園問題で「総理の意向」を振りかざして文部科学省を押し切ったとの疑惑を招いた萩生田光一官房副長官、「自衛隊としてご支援を」と弁護士出身らしからぬ失言で火だるまになった稲田朋美防衛相、そして選挙戦の最中に加計学園関係者からの「闇献金疑惑」が週刊誌に報道された下村氏の4人が自民惨敗の"戦犯"というわけだ。
ところが安倍が入ってゐない。そこで「THIS is A 敗因」と云ふ語も自民党内に出来たらしい。私は「THIS IS A 戦犯」のほうがいいと思ふ。安倍は最大の敗因であるばかりかA級戦犯だ。Aには両方の意味を含む。

七月六日(木)
B級戦犯のうち加計問題に絡むのは二人だ。このうち萩生田は、リテラによると
社民党の福島瑞穂議員が質問に立ったときのこと。福島議員は、安倍首相と加計孝太郎理事長が「腹心の友」であることを知っていたか、と質問したのだが、対して萩生田官房副長官はこう答えた。
「最近、盛んに報道されているから承知している」
 安倍首相と加計理事長の深い仲であることを、最近知った? ……いやいや、何をおっしゃるか。萩生田官房副長官は加計学園傘下の千葉科学大学で客員教授を務めており、同大が2014年に開学10周年を迎え行われた記念式典にわざわざ安倍首相が駆け付け、祝辞のなかで「どんなときでも心の奥でつながっている友人、私と加計さんはまさに腹心の友」と話したのではないか。
まづ萩生田は、自身が加計学園傘下の客員教授になぜなれたのかを当然知ってゐるはずだ。それなのに最近知ったと国会で嘘をついた。開学10周年で安倍が「腹心の友」と挨拶した。それでも「腹心の友」は最近知ったと答弁した。つまり萩生田は二重の嘘つきだ(田)。萩生田改め嘘つき田にしたらどうか。二期作だから二倍の収穫がある。

七月六日(木)その二
この記事には続きがある。
福島議員からそうしたツッコミを受けても、萩生田官房副長官はこのように強弁した。
「もともと『腹心の友』かどうか、確認したこともないし、承知もしていない」
「千葉科学大学で客員教授をしていたのは安倍首相とはまったく関係のないルートで要請を受けた」
(中略)しかし、そんなはずがあるまい。じつは、萩生田氏本人がネット上で、安倍首相と加計理事長の「腹心の友」関係の現場に立ち会っていたと思われる写真を公開しているからだ。
 その報告をしているのは、「はぎうだ光一の永田町見聞録」という自身のブログでのこと。このブログの2013年5月10日の投稿で、萩生田氏はこう綴っている。
〈GW最終日は青空のもと安倍総理とゴルフをご一緒させていただきました。きっと外遊の疲れがあったので、一年ぶりにクラブを握った私に…(笑)スコアは国家機密です〉
(中略)そして、萩生田氏は文章とともに3枚の写真をアップ。(中略)バーベキューの準備中と思われるウッドデッキの上で、缶ビールを片手に談笑する安倍首相と萩生田氏の中心に立っている人物が、加計孝太郎氏そっくりなのだ。
これで嘘つき田は三期作であることが判明した。萩生田が官房副長官のほかに国会議員も辞めたほうがいいかどうかは国家機密だ。しかし国民は皆、知ってゐる。

七月七日(金)
続いてもう一人のB級戦犯が下村だ。文春オンライン7月3日の記事を紹介すると
英数学館小は岡山理科大学を運営する学校法人「加計学園」傘下の小中高一貫教育の小学部だ。(中略)この英数学館小学校が06年3月、米ヴァージニア州のグレートフォールズ小学校と姉妹校提携を結んだ。(中略)チラシは、姉妹校提携から7年後の13年のものだ。そこに2人の女性がコメントを寄せている。1人は安倍昭恵、もう1人が下村今日子である。(以下略)
加計学園による米国の小学校との姉妹校提携は、第一次安倍晋三政権が発足する半年前のこと。奇しくも第二次安倍政権が発足した明くる年、提携の立役者である2人の夫人がチラシに登場している。首相夫人と文科大臣夫人、(中略)そしてこの13年あたりから、加計学園が愛媛県今治市での獣医学部開設の実現に向け、目まぐるしく動き始めた。
下村はB級戦犯ではなくA級戦犯だった。

七月八日(土)
本日また萩生田の話が出て来た。読売新聞によると
学校法人「加計(かけ)学園」系列の千葉科学大学で無報酬の客員教授を務める萩生田(はぎうだ)光一・官房副長官が、「大臣規範」で義務づけられた兼職届を約1年8か月にわたって怠り、6月2日に出していたことがわかった。
 政府は同13日、届け出の有無を問う質問主意書に対し、「届け出されている」とする答弁書を決定したが、届け出されたのは主意書の提出と同じ日だった。
ここで許し難いのは質問主意書と同じ日にあわてて兼職届を提出し、何食はぬ顔で「届け出されている」とする答弁書を決定したことだ。これが、うっかり提出を忘れたと云ふのならまだ同情の余地はある。同じ日に出す今回のやり方は、まるで徳川幕府の大政奉還と同じ日に出された討幕の勅書(偽物と云はれる)だ。
これで嘘つき田は四期作だ。熱帯地方では三期作が可能なことは聞いたが、四期作は初耳だ。尤も嘘つき田で採れるのはコメではなくウソだが。今回の件は無報酬だからと許されるものではない。
萩生田事務所の説明によると、萩生田氏は落選中だった2010年4月に同大学の客員教授となり、特別授業を行うなどして報酬を受け取っていた。衆院議員に復帰した12年12月以降は勤務実態も報酬もなくなったが、「名誉職」の形で客員教授にとどまっている。
(完)

(その十六)へ (その十八)へ

メニューへ戻る (その十六) (その十八)