三千三百四十三 飯田利行「定本良寛詩集譯」から法華讃を読む、続編その三
丙午(西洋地球破壊人歴2026)年
十一月一日(日)
従地湧出品に入り、経典は地から幾千万の菩薩が湧き出る。これで、方便だと気づかなくてはいけない。その前の塔でも、気付くが。
二首目の本文で、現れた菩薩の国土と名号を説いてほしい、と要望し、それの後文で飯田さんは
いままでに説き終わっているのだ。

原文は「適来呈了」で、AIによると禅林の解釈では「ここでようやく本当のことが現れた」だと云ふ。飯田さんの解釈を伝へたところ
一、漢文としては、そのほうが自然
二、「呈了」を単純に「今、現れた」と読むなら、「呈」の意味ばかりが前面に出る。しかし禅語録では「了」がかなり強く働くことがあり、「完了・徹底・決着」の意味が濃厚
意味から考へると、飯田さんの解釈が、不立文字に合ふ。
如来寿量品に入るが、小生は初期仏法の、釈尊が修行して悟った、の立場なので次へ進み、分別功徳品。
経の論議をする場合に、やれ流通分(結論)だ正宗分(本論)だなどということは、どうでもよいことだ。

大賛成。随喜功徳品は、後書きに
もし子細にのべようというならば、いったいどこが子細にのべられる処であるか。もし子細にのべずというならば、もうすでにかようにのべ終ってしまっていたので、どうしたものか。畢竟、いかん。それは妻が、自序の名をしきりに呼ぶようなもので、もともと自序には用事がなくて、ただ夫が妻の声に気づいてくれることを望んでいるようなものである。

これは、愉快な例へだ。法師功徳品へ移り
人あって(中略)問うものがいるならば、よろしく掃き箒(ぼうき)をもって(中略)口をたたきのめしてあげようものを。

根底にあるのは、黙照と不立文字だ。法師功徳品の功徳とは、六根清浄であり、ご利益ではない。

十一月二日(月)
常不軽菩薩品へ入り
血涙をふりしぼって仏法を探り求めた窮極の処は、(中略)おさとりである。したがって、わがこの人生は、不立文字、以心伝心の妙境に逍遙 するにこしたことはない。―――いったい何処のどなたが、お茶はにがいなどと言いたてたのであろうか。それはお茶の真の味が分ってのことであろうか。

「おさとりである」に賛成。次の一首は「此土と西天と、なんの似たる所ぞ」で始まり、三行目の「今日、成正覚とはるかなりといへども」について
今日は、釈尊がおさとりを菩提樹下で開かれた時から遥かにへだたってはおるけれども、なお像法の時代に常不軽菩薩が在世して

常不軽菩薩品に、常不軽菩薩は威音王仏の滅後像法に、とあるので、それに従ったものだが、威音王仏は過去七仏とは別の仏だ。教義の複雑化なので、小生は嫌ひだが、常不軽菩薩の行動は偉い。良寛和尚も、四行目の
なほ慕ふ、ただ礼拝を行ぜじ時のみを

と行動を慕ふ。次の詩では、三行目に
南無帰命常不軽

鎌倉仏法は、南無xxxの部分が固定し、これでは命令に従ふだけで、心が入らない。良寛和尚は、南無妙法華もあり、一定ではないので、心がこもる。次の一首では
常不軽菩薩は、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷の姿を(中略)見かければ(中略)礼拝して、おさとりを開かれんことをこい願い、その具われる仏性の尊厳性をたたえ(中略)しかるにこの常不軽老古仏が去って、永い永い歳月がどれほどすぎ去ったことぞ。

これは、原詩のとほり訳したものだが、名内容だ。
次の一首では、瓦石を投げ杖木でたたく内容だが、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷が、なぜそんなことをするのか。それだけ部派仏法の時代は堕落したとも考へられるが、法華経の作り話とも考へられる。常識で考へれば、戒律を保つ比丘がそんなことをするはずがない。
浦島太郎や桃太郎が作り話なのと同じで、経典は方便であり作り話だと、気付く。小生が、教義の複雑化を云ふ理由は、ここにある。

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