駿州吉原宿及びその近辺訪問記(鉄道編)

平成20年10月
小学校に保存された都電を見学するために駿州吉原宿を訪問した。午前中は足を伸ばし富士駅の創臨の痕跡を調査した(宗教団体の臨時列車は創臨、天理臨、金光臨があり、このうち創臨は平成3年に消滅した)。午後は岳南鉄道を調査した。最後に天理駅と金光駅を付けた。


1 新富士駅
富士駅に到着後、新富士駅まで歩いた。団体待合室という看板のかけられた20m四方くらいの部屋があり、実質は駅の東側から来る人の通過通路となっている。団体待合室の周辺(改札口への通路より東京方)もかつては団体待合所だったのであろう。昭和63年に駅が新設され、その3年後に創価学会の団体客は消滅した。当時団体待ち合わせがあったのは品川駅のみで、富士駅も富士宮駅もなかった。列車が到着すれば団体バスが待っているから新富士駅も必要のないものではあるが、列車やバスが遅れたときや雨天のときに用いるのかも知れない。
駅前のバス停に、「5 大石寺行き」とあり、1日に2往復(土日祝は3往復)のみで、しかも「運行日は添書登山御開扉日となります」と書かれている。特定の日しか運行せず、しかも普通の人には理解できない文章である。下には上とは不揃いに鉄板に直接「団体バス乗降場」と書かれている。

2 富士駅
東京方面の創臨は身延線の富士宮駅まで乗り入れるが、大阪方面は富士駅が終点であとは団体バスを使った。駅の北側には隣接して団体バス乗り場跡があり、現在は路線バスが使っている。

3 富士駅コンテナ取り扱い
バス乗り場を数百m東京方に行くとコンテナ取扱所が道路の向かい側にある。ちょうどコンテナ車を入線させるところであった。道路の手前でコンテナ車は停止し、道路用信号が赤になると踏み切りを渡り、着線するとコンテナ車の半分を残して少し引き上げ、もう一線に残りのコンテナ車を入れた。

4 旧身延線
身延線はかつては富士駅の東京側につながっていた。昭和44年富士宮までを複線化するときに大阪側に新たに新設しした。先ほどのコンテナ取扱所の手前に小さな道路があり、これが旧線の跡である。車がやっとすれ違えるくらいの舗装された道路が工場の間を走る。やがて遊歩道となり民家の軒をかすめる。国道1号(現在は139号)の踏切が渋滞することも付け替えの理由であった。ここには本市場という駅があった。線路跡は竪堀駅の先まで続くが、この日はここから吉原宿跡へ歩いた。

5 岳南鉄道

比奈駅(その1)
比奈駅とこの駅のヤードの間の踏み切りの脇に古い電車4両と貨車1両が置かれている。線路のない場所で台車はない。いつ崩れてもおかしくない車体を部品(廃品?)置き場にしている。地方の私鉄は経営が大変である。入換え信号ではなく入換え標識がある。ちょうど比奈駅で吉原に向かい左側の側線に停車中の貨物列車が推進入れ替えで工場に入って行った。比奈駅は右側にも側線が3本あり別の工場の引込み線となっている。
出札窓口の横にペリカン便の受付。かつてはどこの駅でも見られた小荷物用のはかりが現役で置いてあった。少しでも収入を増やすための努力が伝わってくる。

岳南富士岡駅
ホームの左側は後方に向かい機関庫。2線。ED402が入庫中。線路が錆びているのであまり入出庫しないようだ。右側はホームに並行に後方に 行き止まりの2線。ED291(廃車済み?)と電車1両。
出札窓口(無人のため閉鎖)の横に「大貨物扱所」という紺色で縦型の木製札(20cm×50cmくらい)。機関庫の職員が兼任で駅に来て今でも扱うのかも知れない。下記の貨物時刻表の富士岡への往復は機関車の入出庫のためとも考えられるが、あるいは大貨物の着発かも知れない。
比奈駅(その2)
引き上げ線から5線に広がりうち1線が本線とつながる。貨車仕分け用らしい。貨車が2両ほど留置されていた。

岳南原田駅
左に側線1、右側は後方に行き止まり2線でうち1線は貨物ホーム。

貨物列車の時刻
吉原原田比奈富士岡
9:349:50 
10:1710:01 
11:1411:30 
  11:3911:49不定期
 12:1812:12不定期
 12:4112:44不定期
13:1913:03 
14:0614:22 
 14:3814:35 不定期
 14:5114:54 不定期
15:1415:11 
15:4015:56 
16:2416:08 
JR貨物時刻表(平成19年3月ダイヤ改正)より
毎朝、吉原から始まって富士岡で機関車の入出庫を不定期で行い、原田へ2往復して吉原で終わることが分かる。
この時刻表によると、岳南原田、比奈、岳南富士岡のほかに本吉原、須津が車扱になっている。しかしこれらニつの駅は実際には貨車も線路もなかった。比奈駅はコンテナ(臨時及び専用線)も扱うことになっていて、専用線で扱うのであろう。時刻表では臨時と専用線は一括して同じ記号を用いている。

6 JR貨物時刻表に見る吉原、富士駅
吉原は車、コンテナともに臨時及び専用線。
富士は前述のコンテナ1、2の東京方に新王子専用線の本州東1、大興製紙専用線の大興東線。下6から東芝専用線へ3本に分かれ収束後に日本製紙専用線が3本に分かれている。
かつては大阪方から創臨が富士まで運転されていたが上り旅客ホームは上、上1。貨物用の上2、上3を使えば身延線に乗り入れ可能。しかし富士宮側に機待線なし。富士宮からは上り本線、下り本線を超え下2~下6に止めれば可能。富士宮まで乗り入れなかった理由が富士、富士宮どちらの制限かは不明。

7 まとめ
吉原、富士、岳南鉄道沿線は今でも貨物駅や引込み線が健在である。しかし随所に引込み線跡が見られる。更に悪いニュースがある。
沼津駅の貨物は構内と東間門地区の2箇所に分かれるが、原と東田子の浦の間に新貨物駅を作り移転することになっている。これは沼津駅の高架化計画の一環であり、駅構内の電車留置線も片浜に移転することになっている。
新貨物駅ができると吉原、富士、岳南鉄道の貨物は廃止される恐れがある。地球温暖化の今、少し我慢すれば鉄道貨物復活の日が来よう。それまで維持できるか心配である。

8 富士駅の駅名について
明治四十二年駿州富士郡加島村に富士駅という駅ができた。地元では加島駅と改名するよう請願したがそのまま現在に至る。のちに周辺の村が合併し富士市となった。富士市という名称は歴史を反映していない。したがってこのページでは駿州吉原宿及びその近辺と称した。

9 (付録)天理駅
今年3月大阪に行ったついでに天理駅に寄って見た。下車せず車窓から見ただけなので独立したページにするには内容が少なく、ここに付録として追加した。
3月15日天理駅を車内から見た。ホ-ムは2面4線で、うち1面2線は団体専用。普段は閉鎖されている。
奈良方に留置線。五線は奈良側で機回し用に集結している。三線は行き止まり式で洗浄台が付いている。
留置線は架線が張られていたが、昨年12月に張られたという。線路はこげ茶色に錆びていた。3月15日はおおさか東線の開業日でこの電車を留置するため架線を張ったらしい。電車が入線する前の最後の留置線を偶然見た。団体ホームのうち一線も昨年12月に架線を張ったという。

10 (付録)金光駅
15年前に金光駅を見たところ、2面ホームの側線がそれぞれ本線に繋がっていなかった。新幹線または団体バスを利用するようになり金光臨は廃止されたのか、と思っていたが現在は次のようになっている。
ホームは3面。1番線が単式ホーム、2、3番線と4番線が島式ホーム。4番線ホームの反対側の5番線は線路を撤去。金光臨は2番および4番を使用する。15年前は撤去中の5番線を見て線路が錆びている2番も撤去中と間違えたのかも知れないし、一度本線と切断したあとに再び復活したのかも知れない。

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