都電の思い出1
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おもしろい車掌さん
昭和42年ころにテレビで、おもしろい都電の車掌さんが紹介された。その直後に春日町から上野広小路まで16番(大塚車庫)に乗り回数券を買おうとすると車掌さんが同じ券を4冊くらい出してどれがいいですか、というので1つ選ぶと、はずれで1枚少ないもので全部揃ったものを指さして当たりはこれでしたと言ったあとで、足りない1枚はすぐ手渡してくれた。あちこちの乗客に同じことをしていたので、昔からやっていたのかテレビで同僚が紹介されたので自分も独自のものを考えたのかしたのだろう。
この話を大塚車庫の元運転手さん2人に質問するとご存知ないとのことであった。運転手さん車掌さんは組が違うと乗務日時が違うので判らないのであろう。
(大塚車庫の元運転手さん2人の話は1および2)
今だったら逆に勤務態度が不真面目だなどと言われかねない。高度経済成長は日本人から心のゆとり奪ったようである。そう言えば銀座4丁目か日本橋の交差点のおもしろい警察官もこのころの話である。
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護国寺に向う坂
大塚仲町から護国寺に降りる坂にはトロリーコンタクタが架線に取り付けられていて、1台通過すると電柱の電車用信号機が×(停止)になり坂の下のトロリーコンタクタを通過すると↑(進行)になった。この信号機は全運転手が無視していた。同時に2台閉塞区間に入っても2台出ないと進行にならなかった。もっと急な坂があるのになぜここだけ付いているのか判らなかったが、大塚車庫の2人の運転手さんの話で銀杏の葉のスリップ防止だと理解できた。
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江戸川橋の終点
20番の江戸川橋の終点は、交差点のところで乗客を降ろすとそのまま進み折り返し式のプラットホームがあり乗客を乗せながら発車を待った。発車すると20mほどで交差点につき、再度乗客を乗せた。20番は開通当時矢来下まであった路線を江戸川橋まで短縮したが、折り返しは旧矢来下ではないと想像している。当時のことは判らないが江戸川橋の交差点に近すぎることと折り返しホームでは降車しないためである。
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都電の車庫
昔はどこの車庫でも車庫内を見学させてくれた。事務所に見学名簿があり名前や住所を書く車庫や、名簿に記入ののちに腕章を借りて腕に巻いて入る車庫などがあった。どこの車庫も親切だったが一番気に入っていたのは錦糸堀であった。資料を見せていただいたり、いろいろ説明していただいた。都電資料室というホームページを作った理由は、当時(昭和40年代)の親切な都電職員の方々の記録を後世に伝えるのは我々の世代の義務であると考えたからである。人間どうしの信頼関係を壊した戦後日本のアメリカ物真似風潮は早く終止符を打つ必要がある。
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錦糸堀で見せていただいた資料(いろいろな型の性能等が書かれた資料)
車体の長さ幅高さ、電動機の種類、出力、台車などが書かれていた。出力はKWのものとhpのものがあった。その後出版された書籍も同じようにKWとhpが混在しているので、出典は同じなのだろう。引張力と速度について質問すると、都電に重りを引っ張らせ一番重いものを動かせたときの重さとそのときの速度だ、と教えてくれた。
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錦糸堀で見せていただいた資料(間接車のコントローラ)
定期的に発行している交通局内の雑誌のようなものに、間接非自動は直接に比べ2倍の時間をかけて進段させる、電気ブレーキは常用しても過熱しない、と書かれていた。
(これについて加熱しないのはモーターで、抵抗器は過熱してしまうのでは、という都電ファンの人の意見もあります。しかし雑誌の内容からは大丈夫なような書き方でした。)
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錦糸堀で見せていただいた資料(タルゴバネ)
タルゴバネは鉄製のコイルバネの周りをゴムで囲んだもので、乗客が少ないときはバネ定数が小さく乗りごごちがよく、乗客が多いときはバネ定数が大きく荷重変動の変化が少ないという特長がある。実際に取り付けテストしたが運輸省から25万円だかの補助金が出た。
(テストに取り付けたのが2500型だったと思いますが確かではありません。補助金も25万円だったかどうか不確実です。何ぶん30年前の記憶ですので。)
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トロリーコンタクタ(1)
トロリーコンタクタは一般用の信号機と連動しているものが多かった。例えば池之端七軒町では広小路に向う電車がトロリーコンタクタを叩くと、次に信号が変わるときに一般信号機と都電用の黄色矢印はそのまま出続け、交差点終端のトロリーコンタクタを叩くと一般信号機は赤に変わり専用軌道の踏み切りが鳴り始めるのであった。踏み切り終端のトロリーコンタクタを叩くと踏み切りは鳴り止み道路を遮断していたバーが上がった。なお神明町方向は左右レールの短絡で踏み切りを制御していた。
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トロリーコンタクタ(2)
トロリーコンタクタが5m間隔くらいで2つ連続するものはポイント操作用である。信号塔の操作員を廃止し自動化したものである。停留所に「直」「曲」という標識が交互に点灯し、そのときトロリーコンタクタを通過するとその方向にポイントが移動するものもあった。
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トロリーコンタクタ(3)
都電が荒川車庫を除き全廃の後は、一般信号機に連動したものは見られなくなった。昔の交通信号は路面電車の信号塔が扱っていたという既得権を失ったためではないか、と想像している。
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