三千二百九十四(朗詠のうた)1.母の入院(その二)、2.県南のバス路線
丙午(西洋地球破壊人歴2026)年
八月二十三日(日)
午後三時に、面会した。母は寝たままで、一回も起きなかった。起こしたが、眼を開けたまま寝てゐる。ベッドは、上半身が三十度くらい斜め上だが、それでも起きない。
看護師に訊いたが、意識が無い訳ではないらしい。面会時間の三十分いっぱいゐたが、つひに起きなかった。家に帰るまでの足取りが重かった。
今回は、往復とも西川口から病院まで歩いた。梅雨明けの猛暑は納まり、平年並みだ。これなら歩ける。
初めての街を歩くは楽しきや 目に入るもの珍しくバス停の名を順に読み 帰りはそれら二度目にて足取り重く心も重し

反歌  行く道は母がどれだけ良くなるか帰りは望みもと来た道へ

八月二十五日(火)
明日から経管栄養が始まる。医師から、家族の了解を取る為に、連絡があった。それでお願ひします、と答へた。専門家の意見が、一番確率が高い。和田秀樹さんが、医者の言うことを聞いてはいけない、と云ふのは、薬が多いときと、精神面を考へた場合だらう。
精神面の一例を挙げると、或る医師の動画に、酒は少量でも体に悪い、とあった。そこで小生は、酒の量を激減させた。すると、便秘になった。その後、一日一合以下で復活させた。かつては一合半程度だったから、一合以下(平均すると0.8合か)にしたことは、極めて有意義だ。
便秘だと、腸内細菌に悪影響があり、免疫力が落ちる。それに比べて、少量を飲めば腸内は善玉菌が優位になる。こちらのほうが、健康を保てる。全体の統計と、個々の事情は異なる。それにしても、我ヶ腸内細菌はアルコール好きなので困る、と他人(他菌?)のせいにしてはいけない。
鼻を経て細きくだにて食べ物をここのそあまりよつとせの秋


八月二十六日(水)
妻と二人で、母の面会に行った。終了後に病院のソーシャルワーカーと打ち合はせをした。退院後は、施設に入所することで、方向が決まった。
入院の翌日に、新たに決まった主治医から、入院すると認知症が進み、施設に入る事が多い、ソーシャルワーカーに連絡する、と云はれた。それが現実になった。母は、食べなくなったことが原因となった。
天気予報によると、今日までは気温が三十八度、明日からは三十二度。とは云へ、ソーシャルワーカーと本日午後三時で約束をした。母との面会は二時半にした。
-----------------------------ここから(見沼代用水と地元の話題、百二十九の二)閲覧注意----------------------
だから歩くことはせず、バス一日乗車券を買ひ、北戸田ショッピングセンター発南浦和駅行きに乗った。田島団地発ではなく、この路線を応援したかったので、家を出る時刻を合はせた。川口駅まで定期券で乗り、バスで東川口駅まで乗った。青木の付く停留所が、ずいぶん多かった。農村地帯の風景が、最後の少し前に現れた。その後暫くすると住宅地に戻り、東川口駅に到着した。
少しすると、西川口駅行きが発車するので、この路線にも乗った。往路とは、まったく異なる経路で、旧鳩ケ谷市の中心部も経由し、西川口駅へ到着した。
蕨まで定期券で乗り、国道を経由し浦和駅西口へ行く路線で、一旦帰宅した。そして昼食を取った。午後も、この路線で蕨に出た。これも、応援したい路線だ。往路で気付いたことは、芝園団地から蕨駅は近過ぎるので、乗る人は少ないだらう。その先の北町は或る程度ゐる。帰路で気付いた事は、蕨高校の生徒が乗ることと、芝園団地は縦に長いので北側の居住者が乗降するだらう。
このあと、西川口から病院まで往復し、南浦和からバスで帰宅した。(ここまで閲覧注意)
あらたまの日の半ばまで旅心 お昼の後は打ち合はせ半ばの心保ちつつ 家戻りのち暗やみになる

反歌  調べれば口を通すの管に依り食べるは長く続く筈無し(終)

兼(見沼代用水と地元の話題、百二十九の一)へ 兼(見沼代用水と地元の話題、百三十の一)へ

メニューへ戻る うた(一千九百三十四の一)へ うた(一千九百三十五)へ