二千九百四十六(朗詠のうた)会津旅行で忘れた写真(お座トロ車内消印、書きたくないが公益の為)
乙巳(西洋地球破壊人歴2025)年
十月十三日(月)
先月の会津旅行で撮った二枚の写真は、掲載を忘れてゐた。一枚目は、会津鉄道のお座トロ列車内のポストに投函し、特別の消印が押されて郵送された葉書。二枚目は、会津若松駅の券売機向かひに貼られたポスター(肖像権と著作権を尊重し、顔、背景、寺院の名称、電話番号は黒塗りにした)。
 
 
はがねみち赤く押された消す印お座トロの旅葉書に残る
二枚目の寺院は、会津若松市内では不明だが、東京では同じ宗派の寺院による強引な宗勢拡大活動が問題になった。外国人に「浴衣の写真を無料で撮りますよ」と声を掛けて、入信申込書にサインさせる手口。これは実際の拡大に役立たないので、禁止になった。他の団体の会合に出席して、妨害の質問をすることもあった。駅の通路で、宗勢拡大用新聞を読み上げることもあった。
これらの行為は問題だが、それに駆り出される人たちは、人生の膨大な時間を無駄にする。また、この宗派は、他の団体や個人の悪口を言ひ合ふ。宗教は、性格がよくならなくてはいけないのに、ああ云ふことをすれば悪くなり、今後の人生に影響するだらう。
それは東京の話で、会津若松はさう云ふことはしません、と云ふのならよい。或いは、会津若松の人たちはあの寺院のことは分かって参加するので大丈夫です、と云ふのも安心である。
会津には長く住む人多き故怪しきことはせざると願ふ
会津でこの宗派について、会津坂下町にもう一つ寺がある。境内に地蔵が祭られ、この宗派に導いたと言ひ伝へがある。インターネットで調べると、昔の本山貫主が地蔵の衣服に題目を書き、別の貫主が地蔵内の曼荼羅を書いた。ところが戦後の宗勢拡大で、住職が地蔵を廃却しようとして、檀家と争ひになった。地図を見ると、その寺と、横に別の宗教法人になった地蔵堂が並ぶ。元の寺は信者がおらず、住職も別の寺が兼任らしい。
土の蔵人を救ふが詰まる訳皆が敬ふ真心に依る
詳細は分からないが、小生は昔からの檀家が正しいと思ふ。一つは、昔から続いたものには(1)理由がある、(2)堕落、の二種類がある。どちらか不明だ。二番目に、この宗派では教義の唯物論化が起きた。地蔵問題は大掛かりな唯物論化の九年前だが、その萌芽と捉へることができる。
今回のポスターをきっかけに、いろいろ調べることが出来た。更にもう一つ分かった。会津若松の寺は、明治33年に旧本門宗の末寺になり、昭和17年に戻った。
この宗派に言及した時は偏らないやうに、反対側からの見方も載せることにしてゐる。他の悪口を言ひ合ふやうになった理由は、非常時用の宗教を、平時に信仰するからだ。戦前は戦争の危機や経済危機(世界大不況)があった。今は無いのに、戦前の宗教を信じるから、かう云ふことになる。平時に現世利益は無い。無いのにあると信じると、貪瞋痴に陥る。(終)
(10.14追記)上記を書いた日が偶然、催しが行はれる日だった。夕方まで続くので、妨害してはいけないと、掲載を本日にした。無理な布教が無いのなら、商店街を盛り上げる行事は来年以降も続けてほしい。
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