二千六百六十三(朗詠のうた)本歌取り、古今集(その三)
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
二月二十三日(日)
巻第二十へ入り
あたらしき年の始めにかくしこそ千年をかねてたのしきをつめ

あたらしき年の始めを祝ひても千年ののちを憂ふは強し

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しもと結ふかづらき山に降る雪のまなくときなくおもほゆるかな

しもと結ふかつらぎ山は正成の赤阪及び大和を分ける

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あふみより朝立ちくればうねの野に鶴(たづ)ぞ鳴くなる明けぬこの夜は

夜明け前近江を発ちてうねの野に明るくなるもまだ近江にて

反長歌  夜明け前大津を発ちて うねの野に鶴鳴くを聴き夜明け知る ここは近江も湖(うみ)の西大津の宮よりひと時歩く
今回は、短歌を作った後に、長歌を作った。
一首飛ばして
しはつ山うち出でて見れば笠ゆひの島漕ぎ隠る棚なし小舟

大坂の海を見る丘しはつ山 淀川の島笠ゆひの小舟の歌はよろづ葉に在り


二月二十三日(日)その二
「神あそびの歌」章へ入り
神垣の御室の山の榊葉は神のみ前に茂り合いにけり

神垣の囲む社のある山は榊が繁り山が社に

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霜八たび置けど枯れせぬ榊葉のたち栄ゆべき神のきねかも

大雨や大風旱きの雪と霜枯れない榊神をも守る

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まきもくのあなしの山の山びとと人も見るがに山かづらせよ

神あそび採(とり)物にある歌なれば山かづらとは神の為なる

「人も見るがに」までは序詞と採ることもできる。
すぐ次の
み山には霰ふるらし外山なるまさきのかづら色づきにけり

奥山は雪が積りて里山はまさき色づき使ふかづらも

すぐ次の
みちのくのあだちの真弓我が引かば末さへより来しのびしのびに

採(とり)物は神楽手に持つ物なれば榊かづらに続き引く弓

詞書が「採物」はこれで終了し、次は「ひるめの歌」で
ささのくま檜のくま川に駒とめてしばし水かへ影をだに見む

ひるめ歌天を照らすの大御神その前で歌ふ 駒とめて水を飲ませて影見るは いや千早振る神の馬かも

反歌  よろづ葉の我れ外に見む少し変へ影をだに見む大御神前
すぐ次は「かへしものの歌」の詞書に二首あり
青柳を片糸によりてうぐひすのぬふてふ笠は梅の花笠
真金吹く吉備の中山帯にせる細谷川の音のさやけさ

かへしものやまとの琴の調べにて違ふ二つに歌ふと返す

すぐ次の
美作や久米の皿山さらさらに我が名は立てじよるづ代までに

名を出さず尽くすかまたは名を絶たじ大嘗祭(三文字で、おほにへまつり)に美作の歌

本歌の「我が名は立てじ」を浮気の名を立てまいとする解釈が続いたが、大嘗祭(天皇即位後初の新嘗祭)の歌としては不適切なので、本歌取りでは「目立たず尽くす」又は本歌が「名を絶たじ」の誤記だとする学説を採った。ここから先は、それぞれ別の天皇の大嘗祭の歌が四首続く。

二月二十五日(火)
「東歌」章では、異変が起きた。万葉集の東歌と異なり、本歌取りにしたい歌が無い。何とか一首選んだ。
陸奥はいづくはあれどしほかまの浦こぐ船の綱手かなしも

しほがまの浦はいにしへ歌枕それに因むの市の名と思ふ
塩竈の竈二つあり正しくはかまど(竈)市にてはかま(釜)も受け付ける

駅名は塩釜なので、市民以外は塩釜だと思ふ人が多い。市のホームページには塩竈神社に由来するが塩釜も受理するとあるが、小生はしほがまの浦だと思ふ。(終)

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