二千六百二十(うた)(モリカケ桜河柳ジャニーズ藪黒敗トリー放債カルト裏安、三百十九)今こそ萩生田切りを
新春前甲辰(西洋発狂人歴2025)年
一月八日(水)
日刊ゲンダイのホームページに
石破首相が“安倍派切り”に打って出るのか…裏金問題は年明け国会も継続、「金庫番」招致で与野党攻防

が載った。
24日召集の通常国会に向けて、与野党の攻防が激化。最大のテーマは依然として裏金問題だ。野党が巨額の裏金づくりに手を染めた旧安倍派の“金庫番”の国会招致を求めているのに対し、自民党は消極姿勢。ただ、少数与党下で、自民の思惑通りには進みそうにない。年末年始に東京・紀尾井町のホテルニューオータニに引きこもっていた石破首相は、頭を悩ませていたに違いない。

旧安倍派をすべて切るのは得策ではない。萩生田だけを切るのが得策だ。

一月九日(木)
「野党は衆院予算委員会に、旧安倍派の会計責任者・松本淳一郎氏の参考人招致を要求。招致は全会一致が慣例ですが、与野党で意見集約できない場合、委員長判断による多数決も認められる。委員総数50人のうち野党議員は26人で、委員長は立憲民主党の安住淳氏です。彼は昨年末、『年明けに一定の判断をする』と発言。多数決となり、松本氏招致が決まる可能性が高まっています」(ある野党議員)

これは当然だ。どうせ招致されるなら、自民党も賛成に回ったほうがいい。
それどころか、野党議員の間では「松本氏招致を通常国会の予算案審議入りの条件にすべき」との強硬論も浮上。予算案を“人質”に取られれば、与党は大ピンチだ。年度内成立と引き換えに石破首相の退陣が問われかねない。そんな事態を避けるため、「石破官邸は松本氏招致を容認するのでは」(官邸事情通)とみられているのだ。

石破さんは、笑って馬謖を切らう。石破さんが総裁に選ばれたときに、高市さんを幹事長にしろと馬鹿げたことを云った男さへいた元派閥である。そんなことをしたら、石破さんは使ひ捨てになった。高市さんも使ひ捨て要員なのは、前に指摘したが。既に使ひ捨てられた稲田さんを見よ。

一月十日(金)
「松本氏はすでに政治資金規正法違反で有罪が確定。参考人招致が実現した場合、焦点となるのは旧安倍派幹部との証言の食い違いです。(中略)旧安倍派幹部は政治倫理審査会で『知らぬ存ぜぬ』を繰り返しましたが、松本氏は公判で『ある幹部から還流継続を要望された』との趣旨の発言をした。(以下略)」(同前)
石破首相は「安倍派切り」に打って出る可能性があるわけだが、事が簡単に進むかは見通せない。

この戦略は正しい。
「松本氏は公判で(中略)『今の幹部ではなく、昔の幹部に何度か話したことはある』と証言。(中略)下手をすれば、派閥会長を務めた森元首相にまで“飛び火”する展開もあり得る。リスクの方が大きいのではないか」(自民党関係者)

村山と連立政権を組んで社会党を消滅させたときはモリデブ、今は森老害。もはや過去の人だ。リスクは皆無だ。

一月十一日(土)
ここで思ひ出すのは、二週間前にモルディブで亡くなった自民党の議員だ。各報道は、訪問中に亡くなったと発表した。読者や視聴者は誰もが、自民党の外交活動で訪問したと思った。次に海難事故で亡くなったと発表した。誰もが、船の事故かと思った。暫くしてから、シュノーケルで水死と報道された。
今回この文章を書くために改めて調べて、個人の旅行だと判った。つまり多くの人はこの件を改めて調べないから、外交活動として訪問したと思ひ続けてきた。
報道機関の怠慢と、自民党広報の松川るいエッフェル塔事件をるい推させまいとする姿勢は、批判されてよい。訪問ではなく、旅行だ。海難事故ではなく、シュノーケルの事故だ。
それにしても比例区当選者は優雅だ。国会議員は、国民の立場に立つべきだ。ほとんどの国民は、秘書なんてゐない。国会議員に公設秘書は不要だ。まづ比例区当選者の公設秘書を廃止したらどうか。
エッフェル塔松川事件るい推を避ける為かも当初曖昧 いづれは分かる


一月十二日(日)
文春のホームページに
「企業献金もパーティーもダメなら、世襲と金持ち議員だけになる」安倍派五人衆・萩生田光一が〈政治とカネ〉の本音を明かした!

が載った。
〈――「政治とカネ」をめぐる国会での議論をどう見ていますか。
 萩生田 迷惑をかけた立場で言いづらいのですが、もし企業・団体献金はダメ、政治資金パーティーもダメなら、私みたいな人間は政治家になれませんでした。世襲議員か資産家しか政治に携われなくなる〉

まづ今だに「五人衆」の語を使ふことで、この記事の意図が丸見えになる。本題に入り、萩生田みたいな人間は政治に関はってはいけない。世襲議員か資産家だけは困るが、世襲議員か資産家と、萩生田みたいなのはもっと困る。それより安倍直系の人たちは萩生田に怒ったほうがいい。「世襲議員」と切り捨てた。
かつて日本は、革新と保守(革新に対する保守の意味で、今は革新が無くなったから、保守の語は正しくない)が対立し、緊張感があった。革新は全国に、革新系知事市長を誕生させ、自民党はかなり緊張状態だった。
しかし革新も、昭和五十年代に入ると社会党内で「かつては国会議員になってから活動することが目的だったのに、今は国会議員でゐることが目的になった」と揶揄されるやうになった。そして社会党を消滅させたのが、村山とモリデブであった。(終)

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