千五百二十四(和歌) 行動心象日記(うお坐、川口そごう、新宿ルミネ、マンションの火事)
辛丑(2021)
二月二十三日(火)家族で昼食
昼食は、妻と下の子でうお坐に行った。私と下の子は「海鮮丼、そば、天ぷらセット」(税抜き1480円)、妻は「にぎり寿司、そば、天ぷらセット」(同額)を食べた。私はセットではなく、「海鮮丼、味噌汁付き」(税抜き980円)でいいとも思ったが、妻がセットなのでそれに合はせた。予想通り夕方になってもお腹が空かなかった。
昼食を満腹食べる幸せを感謝しつつも 見渡せば地球破壊と引き替への西洋野蛮産業革命
(反歌)
夕方は満腹感がまだ消えずしかし七時に空腹となる
(反歌)
食事時お腹時計が戻る時健康の日が今日も日暮れる
二月二十四日(水)川口そごう
定期券があと二日なので、川口に行った。そごうにも寄った。駅からの陸橋と接続する三階入り口では、川口の今昔を示す写真が展示された。
そごうが出来る前は駅寄りに丸井、横にトポスがあったことと、開店は平成三(1991)年だが予定地の立ち退きは昭和五十年代後半から始まったことが、印象に残った。
私自身は、そごうには2年半前からの記憶しかない。ドンキホーテに買ひ物に行くときに、まづ屋外階段からそごう二階へ入った。一階へは階段がU字回転するため遠回りになるからだ。次に、U字回転して一階まで降りるやうになった。
階段先のエスカレータを使ふ方法もあり、上りではほとんどこれを用ゐた。その後、川口キャスティと云ふ元の川口産業会館のエスカレータを使ふやうになった。最近になり、そごうの屋外階段を再び使ふやうになった。
そごうには二(ふた)年半のなつかしさ 短きながら屋外の階段を降り二階からその後下まで思ひ出詰まる
(反歌)
平日の午後も全館全階に人が集まり買ひ物急ぐ
(反歌)
十階の食堂街の廊下には多数の椅子に多数が座る
(反歌)
屋上はコロナ騒ぎで閉園しペットショップは中くらい混む
二月二十五日(木)新宿ルミネ、川口そごう(その二)
定期券は本日までだ。午後に新宿まで乗った。炊飯器を買ってから、昼食は家で食べるやうになった。それは保温は24時間以内と書いてあり、しかも24時間を過ぎると点滅する。
新宿駅は東口に出て、東宝ビルに行った。シネマの階に行ったあと、一階の商店飲食店街を見た。一階通路が外気そのものの設計は、店への集客効率を考慮し過ぎた。来客に優しくない。特定の通路だけ三店隣接して空室だった。見終った後で、前に来たことを思ひ出した。まったく愛着がない。
ルミネエストは、朝の出勤時にはとバス営業所の前を歩くことがある。ルミネは開店前だが。帰宅時は開店中なので、地下一階や地下二階を中央東口に向かふこともある。それ以外の階に始めて行った。特に二階の連絡通路、七階と八階の飲食街は興味深かった。
ルミネ熱に火が着き、ルミネ1とルミネ2も各フロアを見た。今まで1、2、ミロードの区別が付かなかったが、三つとも区別できるやうになった。2の最上階に吉本の劇場があることを始めて知った。
開業は、1が昭和五十一(1976)年、2が昭和六十二(1987)年、エストは元、マイシティ新宿で昭和三十九(1964)年。出店はファッションなど平成そのものだ。しかし建物に昭和の雰囲気を残す理由が判った。
通勤でときどき歩く通路でも最終の日に来て見れば 多く新たな発見があり
定期券が切れる前に川口のドンキホーテに二日連続で行き、その往路と復路でそごうに寄った。往路は三階北側歯科医の階段から駐輪場に降りて、昨日は右折したが、本日は左折した。復路は道路から直接地下に降りる階段を使った。三階から地下一階まで正面入り口右に立派な階段がある。これなんかは、昭和の香りがする。
月末に終はるそごうは陸橋が三階直結 横からは二階の前で折り返し 一階からは階段の裏から地下まで石製の 昭和の香り残す設計
(反歌)
川口の駅前デパート豪華でも市内の人は都心に向かふ
(反歌)
川口市すべての人が駅前を経由するなら営業可能
(反歌)
川口は駅が市内の南端で十一の駅徒歩可能圏
二月二十六日(金)近所のマンションで火事
最後の給料が、昨日振り込まれた。昼食を食べたあと、2Km弱の銀行へ記帳に行かうと外に出ると、空に黒煙が上がる。非常ベルの音が家でも聞こえたので、何だらうと思ったがこれだった。マンションの近くまで行くと、窓から黒煙が出て、炎も見える。黒煙がときどき小さく窓から噴射する。
そのまま国道を走り消防車一台の横を通り銀行に行ったら、支店の外まで人が並ぶ。自転車なので、一旦帰ることにした。別の道でマンションの裏側から見た。隣のマンションで気流が乱れ、地上にも煙が来る。だいだい色のヘルメットの消防士が一階下の通路に目立つ。炎が見える窓から同じ高度で少し離れた位置まではしご車が届く。水は放水しないので指令車か。
国道の消防車は、道路のマンホールから給水を受け、別の消防車へ中継し、別の消防車が先ほどのはしご車に中継することが判った。はしご車は、下から見えないが放水をしてゐた。見沼代用水の分水脇の遊歩道は、マンションの裏なので、水浸しだった。
銀行まで再度走り、記帳の後に戻ると、白い煙が出続けた。インターネットでテレビ局の動画を観ると、炎と黒煙が大量に窓から噴き出した。あれだけ大量だと、灯油があったのではないか。消防士のヘルメットは、白が多く、火元の階の廊下にはだいだい色。地上に青色が少し。
マンションは居住密度が高き故 価格や便利引き換へに火事とコロナに注意を要す
(反歌)
マンションは歴史が浅く問題が出尽くし切らず未来は不明に(終)
三月一日(月)他人の不幸を撮影してはいけない
火事を動画で撮影する人が多いのには、驚いた。写真で撮影する人は更に多かったが、まだ許容範囲だ。しかし動画は許し難い。私は写真さへ撮らなかった。他人の不幸を撮影してはいけない。
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