千五百七 (和歌)行動心象日記(鍋屋横丁のタイ料理店、中野アパート、東京中野銀行)
庚子西暦元日後(2021)
閏十一月二十五日(月)(2021.1.25)タイ料理店
再雇用終了まで残り少ないので、私用外出を取り、四年前まで職場があった鍋屋横丁に行ってきた。普通は青梅街道を途中から斜めに左折し、堀の内妙法寺の旧参道を歩くのだが、今回は青梅街道を鍋横交差点まで歩いた。
三菱UFJ銀行が無くなり、手前にATMコーナーができた。十貫坂下の中華料理店はよく弁当を買ったが、400円で続けてゐた。近くのセブンイレブンが中華料理の隣に移転した。青梅街道にもセブンイレブンができた。十貫坂上の古本屋チェーン店が無くなった。
昼食は、旧参道の路地を入ったところのタイ料理店で食べた。900円。サラダ、コーヒー付き。豆腐がないので買ひに行き、混んで時間が掛かったので、直径5cm円筒形のスポンジケーキを付けてくれた。店員の女性とは英語で話すので訊いたところ、ネパール人で日本語を勉強中ださうだ。店の入口に飾ってある漢字のお札は魔除けで、タイにある有名な中国寺院ださうだ。
鍋横を 斜めに渡る
細い道 堀の内への
参道で 鍋横できて
東側 廃れたものの
道はあり 50m
進み見る タイ料理の店 昨年開く
(反歌) 経営者 三度の交代 或る時は フランス料理も タイに復活
五柱五成神社と云ふ解脱会の神社を見に行く途中で、閉鎖された中規模の駐車場がある。変電施設みたいな建物(田舎だったら浄化槽の建物と思っただらう)があるので、目に留まった。その背後に九階建ての小さなビルがあり、幅2mくらいの通路はやはり閉鎖されたものの「中野アパート」とある。
この時点で各階3LDKくらいのアパートと推定した。インターネットで調べると、青梅街道と鍋横に面した大きなビルで、1階は三菱UFJ銀行だ。と云ふことで、明日も調べに行く必要が生じた。

閏十一月二十六日(火)中野アパート
本日は昼休み後に仕事を開始し、そのあと私用外出を取った。青梅街道や鍋屋横丁に面した部分にアパートへの入り口はない。後の狭い通路横の駐車場は12台分あり、銀行の裏口に直結する。なるほど、中野アパートは一般の住宅ではなく、三菱UFJ銀行の社宅だ。だから表に入口がなくても、入居者募集の手間が不要だ。
表側から観ると、店舗部分は四階建てだ。中野アパートはその横に九階建てで、一つの階に四世帯くらい入居する。裏から見ると一世帯の面積に見えるが、表から見ると大きいから不思議だ。
昭和式 中野アパート
予想する 五十年前 命名と
しかし社宅で 予想撤回

中野駅まで往復した。かつてキックオフミーティングは中野サンプラザで行ひ、皆がぞろぞろ鍋横交差点から短絡する道を歩いた。途中に西部さんが学頭を勤めた学校法人の東京本部だった建物が今もあり、一般企業が入る。その先の理髪店によく行ったことも思ひ出した。
かつて映画館だかの古い建物があり、道路から通路部分5mくらい歩けたが、今はマンションに建て替はった。

閏十一月二十七日(水)東京中野銀行
三菱UFJ銀行中野支店(四ヶ月前に中野駅前支店内へ移転する前)の建物と裏のアパートは、銀行の支店にしては立派過ぎる。調べてみると、中野貯蓄銀行として明治三十三年に開業、大正十一年に東京中野銀行と改称、昭和十七年三菱銀行に買収された。
中野区は 青梅街道
沿線が 杉並線も
走るため 最も栄え
その後は 中央線の
中野駅 まづ区役所が
移転して 次に中野の
サンプラザ 栄える場所が 徐々に移った
(反歌) 地下鉄は 目立たないうえ 杉並線 廃止で道が 車に獲られ 生活乖離

閏十一月二十七日(水)東京中野銀行はどこにあったか
ここまで書くと、三菱UFJ銀行の旧中野支店が、中野貯蓄銀行や東京中野銀行の本店所在地と考へやすい。しかし杉並線(西武鉄道軌道線を東京都が買収、都電14系統)の停留所は、中野区内で
淀橋、住友銀行前、宝仙寺前、中野警察署前、中野銀行前、登記所前、鍋屋横丁、追分、西町

と続く。中野銀行は、今の本町3丁目のバス停付近、あぶまた味噌の辺りだ。あぶまた味噌は中野区が誇る地場産業だ。ホームページを見ると、取引銀行三菱UFJ銀行中野支店。あ、ここで話が元に戻った。
あぶまた味噌の数軒先で、動物病院の経営交代があった。動物救急センター中野は、練馬に続き2014年6月に開院し、診療時間は午後5時から翌日午前1時。一年ほど前に歩いたときは閉院のためか、天井のエアコンを取り外し中だった。ここで話が、銀行から徒歩訪問に戻った。(終)

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