富山県の路面電車
平成17年夏(富山港線が路面電車化される以前の記録)
- 7000形
富山市内線と万葉線の主力車両は7000形という、都電8000形の前面の左右の角度を緩やかにしたような電車である。
似ているのは外観だけで、台車はタルゴバネ、間接非自動である。
車体は都電8000形、台車や電機関係は都電7000形という感じの車両である。
富山市内線の運転手さんに7000形は万葉線でも走っていますね、と質問すると、万葉線は50番台だと教えてくれた。
- 黄色の+表示
東京にはなかったこの表示は、この先の区間に異常がない、という意味だと万葉線の運転手さんが教えてくれた。万葉線の単線区間で、次の停留所または信号所まで走行できるという意味である。
富山市内線も同じ意味ではあるが、例えば富山駅前の停留所では折り返しの電車がないので大学方面から来た電車が停留所内を20mくらい進んでいいということを示す。
- 入、セという表示
黄色の+の他に、入、セという表示もある。入は入れ換えで、例えば富山駅前で南富山方面に折り返す電車を優先、セは接近の意味で大学方面から接近する電車を優先の意味である。
しかし、入が点灯しているのに大学方面から来た電車が先行するのを見た。表示が絶対ではなく、互いの運転手どうしの合図でどちらが先行するかを決めるようである。
- 万葉線8000形
万葉線には8000形という低床式の最新車が走っている。時刻表も最新車がくる時刻は色で示している。最初、高岡、新湊にはそれほど電車が好きな人が多くて最新車の人気があるのかと思ったがそうではなく、お年寄りなど停留所から同じ高さで乗る乗客に配慮したのであろう。
何と、50年前の都電PCCカーと同じで左足に1つ、右足に2つのペダルが付いている。5501では、左は運転手急病など足を離すとブレーキがかかり、右はアクセルとブレーキである。
8000形では手で動かすハンドルが付いていて、運転操作はこちらで行う。ペダルは前照灯の上下、警笛などそれぞれ役目がある。
それにしてもPCCカーと酷似している。ヨーロッパ製の8000形も原形は足で運転するよう設計されているものを、万葉線では日本に合わせたのであろう。
若い運転手さんに東京のPCCカーに似ていると言ったのだがPCCカーって何ですか、と逆に質問された。無理もない。若い運転手さんのお父さんが生まれたころの話なのである。
- ATS、冷房
万葉線にはATSが装備されているが、これは新湊側の鉄道線で使う。7000形には装備されていないものもあるそうだ。あと7000形で冷房が未装備の電車を1回見た。冷房を全車に装備できないくらい赤字だったのに、8000形を導入し万葉線を存続させた高岡、新湊の関係者に敬意を表したい。
- 富山港線
富山駅に「ありがとう富山港線」というパンフレットがあった。これによると大正13年に私鉄として富山口から岩瀬港が開業、3年後に富山と富山口間の貨物線、昭和11年に富山港と大広田間の貨物線、同13年には富山と日曹工場間の貨物線が開通し、貨物を主に発展した。
昭和33年には富山操車場と蓮町間も開通したが、昭和59年に奥田(日曹工場)、昭和61年に大広田、富山操車場連絡線が廃止され、全線で貨物扱いが廃止された。
直流電化区間なのに、交直流電車が3両で走ったり、何と1両編成の気動車まで走っている。
これでは路面電車化も無理はない。
- 富山県と首都圏の違い
富山市内線も万葉線も富山港線も、運転手さんに質問するとみな親切に答えてくれた。南富山では早朝、車庫から出てきた運転手さんに鉄道線も600Vなのですか、と質問すると私の疑問点を察知し、1500Vだが線路がつながっているのは南富山には車体を持ち上げる設備がないのでディーゼルの牽引車で鉄道線を移動させます、と答えてくれた。
早朝南富山まで往復し夕方大学まで往復したので(計800円)、1日乗車券(600円)を買えばよかった話をすると、ありがとうございました、と丁寧にお礼の言葉をいただいた。
乗客も乗務員もゆとりのない首都圏とは大違いである。都市が大きくなると路面電車は衰退するが、路面電車の走るくらいの都市を1県に2つくらいずつ日本中に作り首都圏を縮小させることが必要である。
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