大塚車庫の元運転手さんから、車庫は技術部所属で、営業所は電車部所属だった、というお話があった。その後、江東文化センターの展示会に東交車庫支部の方の展示があったため、益々その確信を深くした。しかし、そのことを確かめようと、交通局40年史、50年史、60年史を調べた結果、もっと複雑であることが判明した。
- 車庫と営業所の歴史
- 市営開業時。営業所は三田、青山、新宿、本所(柳島)の4箇所。車庫は三田、青山、新宿、本所、上野、浜松町の6箇所。
- 昭和10年には営業所12箇所、車庫15箇所。
- 昭和12年に営業所、派出所の大幅な改廃があり昭和15年に営業所、車庫が揃い15ずつになった。
- 城東電気軌道の買収後、東荒川は車庫のみ。
- 新宿車庫が大久保に統合後は、新宿営業所は新宿区歌舞伎町5に存在した。杉並営業所といっしょに廃止になり大久保に統合。
- 昭和26年、電車課の下に、庶務係、運輸係、乗務係、車輌係、教習所、電車営業所(17箇所)
- 昭和27年、部課制を実施。課を部に、係を課に。営業所に管理係、運輸係、車輌係を新設。
- 職員傭員の人数は、40年史では営業所の人数のみだが50年史では運輸、車庫の人数が載っている。40年史では車庫は営業所ではなく本局の車輌係と推測される。
以上から、昭和27年の時点で車庫が営業所の車輌係になったと思われる。昭和15年以前に車庫のみが所在していたところには派出所があった可能性が高く、車庫と営業所が別組織とは言えないが、40年史や50年史で車庫と営業所を別に掲載しているところに、少なくとも40年史の時代は別組織で50年史のときは統合されたばかりではないかと推測される。
- 昭和36年1月末の人数表(50年史)
| 従事員 |
| 職員 | 傭員 |
| 空欄 | 運輸 | 車庫 |
三田営業所 | 40 | 304 | 21 |
目黒営業所 | 34 | 194 | 15 |
広尾営業所 | 45 | 302 | 19 |
青山営業所 | 29 | 302 | 21 |
新宿営業所 | 31 | 285 | 空欄 |
杉並営業所 | 29 | 128 | 15 |
大久保営業所 | 33 | 167 | 29 |
以下略・・ |
新宿営業所には車庫の人員がいない。大久保は運輸に対する車庫の人数比が他の営業所より高い。30年前を思い出すと車庫の責任者のことを車庫の人たちは係長と呼んだりおやじさんと呼んだりしていた。
- 昭和38年12月末の人数表(「事業概要」より)
| | 吏員 | 雇員 | 傭員 |
| | 事務 | 技術 | | | | | | | | | | |
| | 管 理 職 | 一 般 | 管 理 職 | 一 般 |
主 事 補 | 運 輸 主 事 補 | 技 師 補 | 助 手 | 運 輸 助 手 | 技 工 | 補 助 手 | 車 掌 | 運 転 手 | 信 号 手 |
電車部 | 本局 | 4 | 35 | 3 | 19 | 44 | 3 | 11 | 5 | 4 | 4 | 1 | | | |
| 営業所 | 13 | 122 | 2 | 49 | 241 | 132 | 58 | 1 | 224 | 293 | 56 | 1591 | 2332 | 48 |
本局は電車部の各課、営業所は全電車営業所を意味する。
この表でも、車庫の人数は営業所に属していることが判る。車掌、運転手と車庫の技工では労働条件が異なるため、東交では各営業所を支部、車庫は全体で車庫支部としたと思われ、そのような組織から昭和27年以前は車庫全体が車輌課乃至車輌係に属していたと推定できる。
- 昭和31年の東京都交通局軌道係員規定
「車両係長は、営業所長の指揮を受け、車両の検査、保守、修理並びに車庫に関する業務を処理し、所属係員を監督する。」
同規定に、結論が書かれていた。この規定を最初に読めば、40年史などを調べる必要もなかったが、いろいろなことを発掘できてよかった。
- 工場
工務課工場、運輸部車輌課工場、交通局工場と遍歴。
昭和43年に車輌部電車工場、44年馬込車輌工場電車整備係。電車の修繕作業の一部は、荒川、柳島、錦糸堀、駒込、大塚に出張し実施。
芝浦工場への引込線が廃止になった後は、駒込だったか大塚だったか記憶が曖昧だがどちらかの車庫内に工場を設けたと聞いた。そこで8000型の台車を履いた6000型を見たことがある。その後、大塚等が廃止になった時点で荒川に工場を設けたと聞いた。しかし実際には、神明町を除く各車庫で実施していたことが判った。工場は都電廃止に併せて、交通局直属から車輌部所属となった。
- 昭和47年以降の組織
電車部は、管理課、運輸課、各営業所。
車輌部は、管理課、設計課、検車課、工場課、地下鉄の2つの検車場、地下鉄の2つの工場
都電は地下鉄の工場所属になったと思われるが、昭和47年に車輌部検車課があることから、車庫が車輌部管轄になった可能性も否定できない。
今回、40年史等を調べた結果、次の事実も判った。
- 信号設備
- 電気信号転轍装置。従来、信号手と転轍手により操作していたが、1人の信号手により両操作を行う。大正14年登場。
- 交通整理機。電車交叉点に信号手を配置して電車進行の整理をしていたが、昭和6年色灯式自動現示装置が登場。電気信号転轍装置と併用のときは連動させ、一般交通には三色信号、電車用には矢印信号を設備した。
- 閉塞信号。電車の追突防止等のため設置した。
- 設置数
| 昭和15年3月末 | 昭和26年3月末 | 昭和36年3月末 |
電気信号転轍装置 | 94 | 89 | 107 |
交通整理機 | 75 | 68 | - |
閉塞信号 | 18 | 5 | 10 |
交通整理機は昭和6年から昭和35年までは交通局。その後は警視庁へ。
交差点の信号機は交通局が管理し、昭和35年に警視庁に移管されたことが判る。都電が交差点を通過しトロリーコンタクタを通過すると信号機が変わる交差点がかなり多かったが、交通局が管理していた時代のなごりであった。その後、トロリーコンタクタや連動する信号機はなくなってしまった。
- 通信設備
- 通信線路。本局事業用交換機より各事業所への電話線。
- 応急電話。大正14年採用。電話機は自動式で、営業線主要場所、営業所、変電所、電路係、軌道係、各出張所などに設置。
バス営業所等にも81個、トロリーバス25個、モノレール2個。都営地下鉄電話とも有線中継。
- 電気時計。大正11年、営業線主要箇所および営業所、その他に運転操作の便を図るため設置した。
- 設置数
| 昭和15年3月末 | 昭和26年3月末 | 昭和36年3月末 |
通信線路(架空線) | 216022/813653 | 74726/76198 | 94460/108917 |
通信線路(地中線) | 42833/61348 | 46706/67361 | 22035/34890 |
応急電話 | 883 | 668 | 1127 |
電気時計 | 233 | 116 | 167 |
通信線路は、電線路亘長/回線延長。
これまで30年前の記憶で緊急電話だと思っていたが応急電話が正しかった。応急電話の通信線が広く張られていたことを示すため、通信線路も載せた。電気時計は、乗客ではなく運転に必要なため、備えられていたことが判る。
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