神明町車庫の元運転手さんの手紙をまとめました。
- 神明町電車営業所は20系統と40系統の2路線を運行しているが、20系統に主力をおき(10分間隔ぐらい)、40系統は1時間に3本から4本ぐらいの運転間隔。
それも当日の出勤率により組数(運転手+車掌を一組)が異なり、一日平均45組位の組数で運行していた。
(確かに停留所で待っていると20番は多く、37(三田車庫)と40は少なかったですね。
しかし停留所の鉄板の案内板(丸善石油とか書いてあった)によると、確か20が6分おき37と40が9分おきで、小学生ながら37と40は表示の割に少ないと感じていたが、40は1時間に3本から4本だったのですか。37も40より少し多い程度でしたが。)
- 神明町営業所は駒込、三ノ輪、南千住と同程度の規模で200人前後の職員、乗務員がいた。
- 神明町で一人前になれば何処に行っても大丈夫と言われるぐらい、上野から銀座にかけての車の多い通り、根津団子坂駒込坂下にかけての民家が密集した狭い道路、神明町から江戸川橋に向かって(神明坂)、丸山町から氷川下(猫又坂)、大塚仲町から護国寺(富士見坂)と坂の多い路線が続き、他の営業所では経験出来ない難しい運転技術が要求された。
(根津のあたりは道路の拡張が今までに2回くらい行われ、昭和40年くらいまでは
ガードレールもありませんでした。最近、七軒町から宮永町にかけて再度拡張されました。)
- 神明町は、古い車輌が多く車種も豊富で新しい車輌はあまりなかった。
1000型(通称タンコロ、古くても運転しやすい)
1038、1039、1040、1056、1057、1060、1061
1105、1106、1107、1108、1110、1111、1116、1119、1120、1122、1126、1127
3000型(馬力がなく運転しづらい)
3212、3213、3214、3215、3216、3217
6000型
6094、6095、6096(台車が古い)
6248、6249、6269、6270、6277、6280(車体が重く乗り心地がよい)
7000型
7021、7022、7023、7024(台車は古いものを使用、車体だけ新しくした)
7013、7019(新造車)
7053(新造の間接車)
8000型(都電撤去を前提にした軽車輌、スタートはよいが乗り心地は最悪)
8013、8014、8048、8049、8050
- 人間は10人10色とよく言うが、車輌は運転台が前後にあるので一つの車輌に二つの顔があるようで、制御器(コントローラー)とブレーキにそれぞれの特徴があり、くせを覚えるのに苦労した。
- ポイントは、抜けポイントと称して通過するときに車輪の力で開ける。反対車線に入るときは「羊羹」と言って木片をポイントに挟む。
(反対車線に入るのを見たのは中学のとき千駄木町を神明町方向に折り返す1回だけです。
職員が鉄製のバールのようなもので広小路方向の線路のポイントをこじ開け折り返しました。
あの折り返しは旧37番の広小路方向への折り返しに以前は使い、37廃止ののちは20がまれに広小路方向に折り返していました。)
神明町営業所の運転手さん、どうもありがとうございました。
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