尾久客車操車場

平成20年11月(作りかけで放置されていたので平成21年9月に修正)

尾久駅及び尾久客車区(現在では尾久車両センターと改称)公開日の記録


1 王子側に車止め
入れ替えのときは駅が、客車区内で移動させるときは客車区で車止めを設置する。なお王子側の客車区の検修庫四本、予備六本が収束するところから先は駅のため、客車区での移動は同じ線路内の短距離にとどまる。

2 コロ軸受けと平軸受け
コロ軸受けの車両は二人で押せば動く。平軸受けはバールを使わないと無理。

3 電車客車両用車
電車客車の両方に使える車両が検修庫の西から3番目に止まっていた。架線がないので客車モードにして照明などを点灯していた。本来はその1本西に架線を一部張った線路があり、そこに入れる。

4 給油
検修庫の南に給油施設がある。客車の発電用に用いる。古くは気動車の給油に用いたのであろう。上野発着の気動車急行としては「つくばね」はたしか尾久には入らず上野で折り返し、「鳥海」は尾久に入ったと思う。

5 研修庫南側の線路
研修庫南側の線路の幾つかが枕木を載せてその先を廃線扱いにしている。これについて友人が次のように述べている。
「以前S47.3の尾久の構内作業ダイヤを見る機会があって,発見したのですが,「つばさ」のキハ181系が毎日南側から客車区線に入るように書かれていました。
ひょっとしたら気動車の組替には検修庫南側の一帯を使ってたのかな?と思います。北側で見た記憶がないので。
当時,北側一帯では2台のDD13が並列でいったりきたりしていましたが, 南側のその一角での入換えは見たことがありません。(外からよく見えないところではあるのですが,唯一見える地下道の入り口のところは何度となく通っていました。)
上記以外では,使っていたとしても稀だったろうと思います。
尾久構内の線路の配置はS22の航空写真と比較してもあまり変わっていなくて(もちろん尾久機関区の扇形庫周囲などはなくなっていますが), 戦前の凝った計画がよく窺われると思います。今は構内ガラガラなのがさびしいですが。」
「つばさ」は秋田の車両なので尾久では組替えはしないように思われるが、キハ82またはキハ181の先頭車が単行で田端操に行き転写台で向きを変えて尾久に戻るのを見たことがあるので、当時は故障が今より多く配置区以外で組替えもあったのかも知れない。

6 井堀付近の高架線
上野駅の地平及び高架ホームを発着する複々線の線路は、確か昭和四十三年ころまでは日暮里駅構内の渡り線で内側と外側に振り分けられ、内側は地平に旅客ホーム、外側は下に下降し客車操車場に繋がっていた。外側の客車操車場への線(下りの外側)の四灯式信号機は、通常は黄色(徐行)で客車列車が推進運転で極めてゆっくりと走っていた。ごくまれに「青と黄色」(減速)になることがありそのときはかなりの速度で例えば夕方六時ごろ特急つばさ(キハ82、のちにキハ181)の回送が尾久へ向って走った(あるいは「鳥海」だったかも知れないがたぶん「つばさ」だと思う)。「黄色」と「青と黄色」の違いは着線の違いかと思っていたが、今思うと推進運転のときは「黄色」、キハ81のような気動車のときは「青と黄色」なのかもしれない。しかし特急はつかり(キハ81)は「黄色」で回送していたように覚えていて、やはり着線のような気もする。上野方向に向う回送はすべてゆっくり走っていたように思う。
昭和四十三年ころ以降は上野駅から井堀と呼ばれる地点までは地平と高架でそのまま繋がり、井堀で地平と高架から中間にの回送に分岐し下降して客車操車場に入り、地平と高架はホーム手前で合流するようになった。これにより日暮里の渡り線の渋滞は解消された。信号がどうだったかは記憶にないが、たぶん今でも同じで青になると思う。


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