江本廣一氏の都電車両総覧を読みました。内容をご紹介します。
青色は気付いた点です。
- 800型
昭和26年から民間会社の手で修理が行われ、方向幕の両側の小窓が潰された。
700型にも同一の記述があり700型は潰されたが800型は残っていたのでは。
あるいは800型の右の窓は潰した結果、跡が残ったという意味かも知れませんね。私は37番に乗り小川町を日比谷方面に左折する際に、方向幕の右にもう1つ窓のある車両が神保町方面から来ていて同じく日比谷方面に右折待ちしているのを何回か見ました。でも右の窓は使われてはいませんでした。
急坂の多い39系統には使われなかった。
800型は37Kwが2台で3000や6000と同じだが重量が軽い分、急坂には強いのでは。遮断器の性能が悪く落ちやすいとか、他の車両より加速度が大きいため雨の日に空転しやすい、ということはあるかも知れません。7000間接車や8000が高加速度でも空転しないのは、永久並列のため空転しても拡大せず収束するためです。
- 7000型
7001~7019は都電の最高傑作で、スタイルも良く乗り心地が最も良かった。7031~7050について新台車の乗り心地もD18より劣るように思われる。7051以降はD20A(実質的にはD20と同じ)となった。
私は7031~が一番乗り心地が良く加速性能も良かったと思います。大塚営業所の運転手さんも7031以降がどっしりして安定感があった、と述べていました。しかし私が小学生のころは7000型の直接制御車と間接制御車で加速度に差があるとは特には感じませんでした。7000型間接制御車は電動機を後に取り替えたという話もあり(後述)、7031以降がよくなったのはそれからかもしれませんね。
- 8000型
昭和38年以降に、車輪を従来の鋳造品から鍛造品に取り替えたものが少数出てきた。車輪に開けられた穴の直径が80mmから50mmと小さくなった。ビビリ振動が少なくなり乗り心地も少し良くなった。(片方を鍛造に変えた台車の写真あり)
トラムとメトロという新宿歴史博物館から出版された書籍の99ページに8000型で乗り心地の改善のためD25に変えたものが10両ある、と書かれています。初耳でしたが93ページから99ページは江本氏の執筆のため間違っているとも思えず、真相は不明です。鍛造品の車輪がD25とも考えられますが片方だけ変えた台車もありD25が独立した形式とも思えないのですが。8000型はビビリ振動もさることながら横揺れがひどかったですね。
- 6181
昭和61年現役に復帰。ステップ改造、保安ブレーキと放送設備の取付け。昭和63年にMG取付け、ドアエンジン撤去、車内灯の蛍光灯化、D16(コロ軸付き)に履き替え。
- 車両諸元表
7001~7030の電動機は60Kw2台
鉄道ピクトリアル1994年臨時増刊号に三田研慈氏が38Kw2台、後に間接制御車を60Kw2台に増強し捻出した52Kwを7000型の直接制御車や6000型の38Kwの増強用に転用したと書かれていて、これが一番確かだと思われます。諸元表は交通局が発行した書籍でも間違いが多く、交通局技術部の職員以外は間違いはやむを得ないと思います。
都電メニューへ戻る