私が富士通マイコンシステムズに入社したとき、ハード設計、ソフト開発、技術支援、本社は武蔵小杉、営業は東京地区が虎ノ門など全国八か所くらいの富士通株式会社半導体本部の営業所内、経理は古河ビル内の富士通本社、修理は川崎工場裏の宮内出荷センターだつた。たつたこれだけで富士通のFMシリーズのパソコンをすべて扱つた。ところが翌年、パソコンが電算部門に移管された。富士通マイコンシステムズのほかに富士通オ−エーが設立されて、マイコンチップを扱ふ人は前者、パソコンを扱ふ人は後者に別れた。私は後者だつた。ところが富士通パソコンシステムズといふ会社が更に作られて、ソフト開発はここに移つた。私も移つた。この再分割は絶対に反対である。最初の会社は五百人ゐたのに分割で半分に減り、再分割で三十人くらいになつた。しかも管理職は富士通電算部門で居場所のなくなつた連中の天下りである。私が退職するのはこの二年後だがそれは後の話である。
富士通オーエーに分かれたとき、フト開発部隊は武蔵小杉に残つたが技術サポート部隊は富士通御成門分室に移つた。近くにFACOMビルもあり、ちよつとした富士通村だつた。


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