二千九百八十五(うた)短編物語「尊氏と直義」
乙巳(西洋地球破壊人歴2025)年
十一月四日(火)
第一章 足利兄弟
尊氏と直義は、同母兄弟で、しかも仲がよかった。尊氏と直義は北条執権に反乱を起こし、幕府を滅ぼした。直義は、湊川の戦ひでは大将として副将の高師泰とともに、楠木正成を破った。ところがその後、師泰の弟で尊氏の執事を務める高師直と不仲になり、武力衝突に発展した。
高師直には勝ったものの、史実ではその後尊氏に敗れた。ここは直義と尊氏が、別の幕府を作ったとして、物語を進めよう。朝廷は、南朝と北朝がある。幕府も、下野足利の尊氏と九州の直義がある。ここは、南朝と尊氏、北朝と直義の組み合はせと、南朝と直義、北朝と尊氏の、二通りの組み合はせができる。
これはよいことで、もし固定されたら、日本は二つの国になってしまふ。史実でもさうだが、南朝と組んだり北朝と組んだりを双方が行なひ、日本は二つの国には分裂しなかった。
直義は高嶋政伸演じるの大河ドラマの印象が 今も続くがこれが正しい
反歌
直義は兄を思ふの優しさが池禅尼と似るところあり 一族亡ぶ
第二章 鎌倉時代の初期と酷似
この状態は、鎌倉時代の初期に酷似する。鎌倉時代には、西日本が四国九州の一部を除き朝廷、東日本と四国九州の一部は幕府が支配した。それを崩したのは朝廷側が仕掛けた承久の乱だった。
室町時代では、鎌倉時代の中期以降と同じに、二つの幕府が日本中を支配した。そして南朝と北朝が並立し、吉野と京都だけは幕府の力が及ばなかった。
権威と権力の分離は、望ましいことだ。そして室町時代に、それが達成できた。鎌倉時代中期以降みたいに、朝廷が幕府の言ひなりにならなかったのは、朝廷と幕府が二つづつあったからだ。
朝廷が二つ幕府も二つあり四権分離 独裁を出さぬ仕組みの一例と為す
反歌
権力と権威分離は必須にて兼ねて揃へば盛者必衰
第三章 統一
いづれは朝廷も幕府も、二つを合併しようと暗黙の了解があった。そのうち、嫡子がゐないときが出て、まづは幕府、次いで朝廷が合併した。南朝を追放しての北朝、直義を滅ぼしての尊氏ではなかったため、朝廷と室町幕府は、その後も長く続いた。一説には、黒船が現れるまで続いたさうだ。或いは、室町幕府が鎖国をしなかったため、黒船が現れても続いたそうだ。
南朝が今も続くはよきことに 戦国時代無きもよし 戊辰戦争無きは尚よし
反歌
尊氏と徳川薩長傲慢が戦を呼びて皆が被害に(終)
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